スズキの自動車への挑戦は、2輪車から始まりました。
ここではまず、2輪車の歴史について振り返っていきます。
1895年に世界で初めて2輪車を作ったのは、自動車を発明したゴットリーブ・ダイムラーでしたが、左右に補助輪が付いた現在の2輪車とは異なるスタイルでした。
一方、日本での市販化は1909年(明治42)年の「島津モーターNS号」ですが、戦後になると現在最大手のホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキが参入して2輪車事業が一気に勢いづきました。最初の2輪車は、エンジンで動力を補助するエンジン付自転車タイプの2輪車でした。
第1章 始まりは鈴木式織機、そして2輪車への挑戦
その2.2輪車誕生の歴史
●初めて2輪車を作ったのは
1886年にカール・ベンツと同時期にガソリン自動車を発明したゴットリーブ・ダイムラーは、実は自動車よりも先に2輪車を作っていました。ダイムラーが1885年に作った2輪車は、「リートワーゲン」と呼ばれた木製で、ライダーの腰の下にガソリンエンジンを搭載していました。
フレームだけではなく、ホイールとタイヤも木製、現在の2輪車の概念がなかったので小さな補助輪が両側に付いた、正確に表現すると2輪+補助2輪車、ちょうど子供用の補助輪付き自転車のようでした。
エンジンは、排気量264ccで出力0.5PS、最速速度は12km/hが精一杯でした。
1886年に特許を取得しましたが、ダイムラーは自動車の開発に注力したため試作車の製作のみで、残念ながら世界初の2輪車の市販化は実現しませんでした。
●初めて市販化された2輪車は
世界初の市販2輪車は、1894年のドイツ「ヒルデブラント&ヴォルフミュラー(H&W)」です。排気量1489ccの2気筒エンジンは、出力0.5PSで最高速度は45km/hを発揮し、生産台数は3000台を超えたと言われています。
水冷エンジンがフレームの下に搭載され、蒸気機関車の車輪を回転させる構造と同じように直接長いコンロッドでリアホイールを駆動させます。ダイムラーの「リートワーゲン」からわずか10年足らずでしたが、スタイルは現在の2輪車に近く、大ヒットしたのでした。
●日本で初めて2輪車を市販化したのは
国産初の市販2輪車は、1909年(明治42)年の「島津モーターNS号」です。大阪の島津楢蔵によって製作されて20台程度販売されたと言われています。当時は外国製か、輸入部品を組み立てた2輪車が一般的でしたが、ほとんど日本製部品で作った純粋な国産2輪車でした。
エンジンは4ストローク単気筒400ccで、カムを使わず吸入行程で発生する負圧と、弱いスプリング力で吸入弁を開閉する自動吸入弁方式を採用していました。
1913(大正2)年には、宮田製作所が排気量450ccの4ストローク単気筒エンジンを搭載した「アサヒ号」を発売。エンジンをはじめ、気化器、フレームなど、すべてが宮田製作所の内製部品で構成され、量産初の2輪車と位置付けられています。
●2輪車産業の幕開け
大戦後、エンジンで動力を補助するエンジン付自転車タイプの2輪車を製造する、100を超える2輪車メーカーが乱立しました。鈴木式織機の2代目社長となった鈴木俊三は、2輪車の製造に着手し、1952(昭和27)年にエンジン付自転車の「パワーフリー号」、1953(昭和28)年には「ダイヤモンドフリー号」を発売して大ヒットさせました。
同時期に、ホンダとヤマハも2輪車事業に参入し、スズキとともに大手2輪車メーカーとしての基盤を築きました。
・ホンダ
ホンダの創業者・本田宗一郎は、1948(昭和23)年に本田技研研究所を設立し、翌年2輪車の「ドリームD型」の生産を開始
・ヤマハ
楽器メーカーのヤマハは、戦時中は軍用機のプロペラを製造していましたが、1955年に排気量125ccの空冷2ストローク単気筒エンジンを搭載した「YA-1(通称赤トンボ)」を発売
・カワサキ
最初の2輪車は、川崎重工の前身川崎航空機工業が1953(昭和28)年に発売した「川崎号」です。
(文:Mr.ソラン 写真:ダイムラー、ホンダ、ヤマハ、川崎重工業)
第3回につづく。
【関連記事】
第1章 始まりは鈴木式織機、そして2輪車への挑戦