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■感謝の100年と振り返られるスズキの歴史を知ろう!
今年で創立100周年を迎えたスズキは、1909年(明治42年)10月に静岡県浜名郡天神町村で創業を開始しました。
当時の社名「鈴木式織機製作所」からもわかるように、まだ自動車やバイクを造るメーカーではなく、機織(はたおり)機を造るメーカーだったのです。それなのになぜ、スズキは自動車・バイクメーカーへ成長したのでしょうか。
今回はスズキ100周年のタイミングで本社工場と隣接する「スズキ歴史館」へお邪魔してきた模様を紹介します。
●スズキ歴史館とは?
スズキ歴史館を簡単に表現すると、スズキが歩んできた歴史を製品とともに見学する施設です。原点である織機に始まり、バイクやクルマがズラリと並ぶ光景は圧巻です。ファンならずとも、ぜひ見学されることをオススメします。
スズキ歴史館(静岡県浜松市南区増楽町1301、TEL053-440-2020)はJR東海道線・高塚駅から徒歩10分の場所にあり、道路を隔てた場所にスズキ本社が構えています。
浜松駅からタクシーを利用する方法もありますが、自家用車で行くことも可能です。そのための駐車場がありますので写真の看板を目印にしてください。
ちなみに現在、スズキ歴史館では新型コロナウイルス感染拡大防止のため、入館者制限を行っています。具体的には見学するための事前予約を徹底していて、電話かインターネットで予約申請する必要があります。団体(10人以上)での予約は受け付けていません。
また、発熱や倦怠感があるなど体調不良だと入館を断られてしまいます。マスクの着用と館内でのソーシャルディスタンスを保つことが条件になります。ですが、体調が万全なら事前予約を行うことで、スズキ歴史館は無料で見学することができます。
●スズキの歴史は織機から始まった
スズキ歴史館は3階建で歴史的な製品が展示されているのは3階フロアになります。階段を上るとスズキが織機メーカーとしてスタートしたことを示すように、巨大な足踏み式織機が現れます。
スズキは1920年(大正9年)に法人となった当初の社名が「鈴木式織機株式会社」でした。1936年(昭和11年)にはバイク用エンジンの開発に乗り出しますが、時代は太平洋戦争へ突入、軍需産業化を望まないスズキは一時開発を中断します。
戦後1949年、本社を現在地でもある静岡県浜松市南区高塚町に移します。それから3年後の1952年、一度は断念したエンジンの開発に成功して2サイクル36ccエンジンを発売するのです。1955年にはエンジンだけではなく、車両ごと開発したバイク「コレダ号」を発売すると同時に、初の4輪自動車である「スズライト」を発売しました。
ここからは「スズライト」以降のスズキ4輪自動車の歴史を、スズキ歴史館の展示模様から振り返ってみましょう。
●黎明期のスズキ車
スズキ初にして本格的な軽自動車として先鞭をつけた存在が「スズライト」です。
とかく軽自動車の歴史で語られるのは「スバル360」であることが多いのですが、実は先に発売された「スズライト」が歴史的モデルです。展示されているのは1955年に発売された「スズライトSS」で、空冷2気筒2サイクル360ccエンジンを搭載した、前輪を駆動するFF方式を採用しています。
スズライトにはSS(セダン)とSL(ライトバン)、SP(ピックアップトラック)の3タイプがありました。さらにスズライトはライトバンの積載量をさらに増やした写真左のSD(デリバリバン)を追加発売しています。
その隣は1959年にモデルチェンジした「スズライトTL」です。FF方式を継承しつつ、さらに大きな室内空間と力強い加速性能を実現させました。発売当初は月産200台でしたが、2年後には同1000台を実現しています。
スズライトは1962年にTL(ライトバン)の乗用車モデルである「スズライト・フロンテ」を発売します。エンジンや駆動方式は変わりませんが、1963年のFEA型ではガソリンとオイルを自動で混合するセルミックス方式を採用します。さらに1965年にはオイルを直接噴射するCCI方式を採用するFEA-1に発展します。写真がそのFEA-2です。
時代は前後しますが、1961年にスズライトから発展したスズキ初のトラック「スズライト・キャリイ(FB)」が発売されます。現在まで続く「キャリイ」の始祖モデルで、セミキャブタイプながら当時の軽オート3輪より多くの積載量が好評で、人気になりました。
スズライト・キャリイは1964年にバンタイプを追加しつつ、1965年にモデルチェンジして2代目のL20に発展します。吊り下げペダルの採用やオーバーハングを切り詰めた結果、FBより175mm荷台を延長させています。
ちなみにスズライトは16インチ、スズライト・フロンテ以降は12インチを採用してきましたが、このL20からタイヤが10インチになります。これは10インチタイヤのスバル360が爆発的に売れた影響で、当時の市場での入手のしやすさなどを考慮した結果でした。
●ワイドバリエーション化
軽自動車メーカーとしての地歩を固めたスズキは、60年代以後さらなる躍進を遂げます。1962年にはバイクのマン島TTレースに参戦して50ccクラス優勝を果たすなど、世界的な活躍が話題になっていた時期です。
スズキは1963年の第10回全日本自動車ショー(東京モーターショーの前身)に参考出品したモデルを市販させます。1965年に初めて軽自動車ではない小型車として発売したのが「フロンテ800」でした。
水冷直列3気筒2サイクル785ccエンジンを新開発して前輪を駆動するFF方式を採用していました。スタイリングなど高い評価を受けましたが、トヨタ・パブリカ、ダイハツ・コンパーノ、マツダ・ファミリアなどが競合したため、販売台数は伸びませんでした。
フロンテ800が成功しなかった理由として、同時期に各社から数多くのモデルが発売されたことが挙げられますが、同時に豪華さが求められたことも一因です。
そこで商用車のスズライトバン(FE)に1966年、ヒーター常設やビニールレザー張りの赤いバケットタイプシートの採用、サイドドアサッシュのアルミ化、グローブボックスの新設などが盛り込まれます。また、このFEからスズキの分離給油方式として有名なCCISが採用されました。
1967年にはスズライト・フロンテがフルモデルチェンジして「フロンテ360」へ名称変更します。このLC10型にはニュースが多く、駆動方式がFFからRRへ大転換します。また、冷却方式は空冷のままにエンジンの気筒数が増えて3気筒となり、圧倒的なパワーを実現させました。
これはスバル360の駆動方式や、軽自動車にハイパワー競争を引き起こしたホンダN360の発売などが影響しています。
フロンテ360には1968年、ハイパワー仕様のSSが追加されます。その出力は36psに達し、リッター100ps時代を迎えるのです。また、このSSはレーシングドライバーのスターリング・モスを起用してイタリアの高速道路「アウトストラーダ・デル・ソーレ」における長時間高速走行テストを実施。その模様がテレビCMや雑誌広告にも使われました。
一方のトラック、キャリイは1966年発売の3代目でスズライトが取れ、単に「キャリイ(L20)」へと名称変更します。またキャブオーバータイプのスタイルを採用して、より広い荷台を実現しました。展示車はありませんでしたが、スズライトバンと併売されるかたちでL20にもバンが新設定されました。
この流れを受けて1969年にモデルチェンジした4代目では、当初からトラックとバンをラインナップしています。スタイリングをジョルジェット・ジウジアーロが手掛けたことでも有名で、前後の区別がつきにくいバンのスタイルは今でも有名です。
写真は1970年の日本万国博覧会(EXPO’70)で使われた電気自動車を復元したものです。
そして1970年、現在も高い人気を誇る軽4WD「ジムニー」が新発売されるのです。ジムニーは自動車産業から撤退したホープ自動車が開発していた軽4WD「ホープスター」が原型です。
このクルマの製造権を買い取り、キャリイ用エンジン、トランスミッションを組み込み、独自のスタイリングを与えたことでジムニーが誕生します。1970年に発売された初代LJ10からエンジンを水冷化したLJ20、軽規格変更により550ccへ排気量を拡大したSJ10がズラリと並んでいました。
次回はその後のフロンテからワゴンR、カプチーノといった新しい時代のモデルたちを紹介します。
後編につづく
(増田満)
【関連リンク】
スズキ歴史館
所在地:〒432-8062 静岡県浜松市南区増楽町1301
電話:053-440-2020
アドレス:https://www.suzuki-rekishikan.jp/
休館日:月曜日、年末年始、夏季休暇など
開館時間:9:00~16:30(16:30閉館)
入館料:無料(電話またはインターネットにて要事前予約)