【第10回・2020年7月10日公開】
1961(昭和36)年に通産省が打ち出した「乗用車メーカー再編成構想」に対する危機感から、東洋工業は小型乗用車市場への参入を急ぎました。
待望の小型乗用車・ファミリアシリーズは、1963(昭和38)年にまずは商用の「ファミリアバン」に始まり、翌年「ファミリアセダン」を発売しました。
その後、1965(昭和40)年に排気量を985ccに増やしたスポーツカー「ファミリアクーペ」を、1967(昭和42)年には「ファミリア1000」のセダン追加・・・東洋工業はファミリアシリーズを足掛かりに軽乗用車市場から小型乗用車市場に軸足を移し、その存在感をアピールしていったのです。
第3章 自動車再編構想と4輪への本格参入
その3.「ファミリア」で小型乗用車市場に本格参入
●乗用車メーカー再編成構想と小型乗用車の開発
1963(昭和38)年に計画されていた乗用車の輸入自由化を控えて、通産省は国産乗用車の競争力を強化するため、1961(昭和36)年に「乗用車メーカー再編成(3グループ)構想」を発表しました。
乗用車メーカーを以下の3グループに分けるもので、メーカーに検討を依頼しました。
・量産車グループ
・スポーツカー、高級車グループ
・軽乗用車グループ
もしこの乗用車再編成が実施されれば、東洋工業は軽乗用車グループに分けられてしまい、目指す総合自動車メーカーへの夢が絶たれる可能性がありました。また、昭和30年代中盤には日本市場が軽乗用車から小型乗用車に移行していたことから、彼らは小型乗用車の開発を急ぎました。
しかし実際には、乗用車メーカー再編成・3グループ構想が実現することはありませんでした。独立独歩を希望する乗用車メーカーが猛反発したからです。
●最初は「ファミリアバン」を投入
当時の市場調査で得られた「高級ライトバンの需要が高い」という結果に基づき、小型乗用車のファミリアシリーズのトップバッターには、乗用車タイプの「ファミリアバン」が選ばれました。
1963(昭和38)年に発売された「ファミリアバン」は、水冷直列4気筒・782cc、最高出力42psを発揮するアルミ合金製のエンジンを搭載し、最高速度は105km/h、最大積載量400kgという実用性の高い商用車でした。
●本格的な大衆車「ファミリアセダン」登場
1964(昭和39)年4月の「ファミリアワゴン」をはさみ、同年10月には東洋工業待望の小型大衆車の本命にしてシリーズの真打ち「ファミリアセダン」がデビューしました。
排気量782ccで最高出力45psのアルミ合金製水冷4気筒エンジンを搭載、最高速度は115km/hと、世界レベルの動力性能を誇りました。デビュー時は5人乗りの4ドアでしたが、翌年には2ドアの「ファミリア2ドアセダン」を追加してさらに人気を高めました。
小型大衆車の先陣を切ったのは、1961(昭和36)年のトヨタ「パブリカ」、1963(昭和38)の「三菱コルト」ですが、ファミリアはそれらの商品力をうわ回り、1965(昭和40)年にはシリーズの月販台数が10,000台を超えるドル箱にまで成長していました。
●ファミリアシリーズの強化
小型大衆車の排気量は600~800ccで始まりましたが、昭和30年代後半には市場はより高級な大衆車を求めるようになりました。それに応えるかたちでライバルメーカーは、排気量が1000ccクラスのモデルを投入し始めました。
東洋工業も1000ccクラスのファミリアシリーズを追加投入。1965(昭和40)年発売の「ファミリアクーペ」は、ファミリアをベースにした本格的スポーツカーです。排気量を985ccに増やして最高出力も68psにまで増強した新開発エンジンを搭載。最高速度は145km/hで、クラストップの動力性能を誇りました。
その2年後の1967(昭和42)年には、排気量987ccで最高出力58PS搭載の「ファミリア1000」を発売。最高速度は135km/hで、2ドアと4ドアのセダン、およびバンを揃えました。
(Mr.ソラン)
第11回につづく。
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