大戦前後の他社メーカーの動向【マツダ100年史・第7回・第2章 その3】

【第7回・2020年7月7日公開】

大正から昭和初期にかけて、日本にも多くの自動車メーカーが誕生しましたが、まだまだ欧米との技術差は大きく、日本市場を席巻していたのはアメリカのフォードとGMだけでした。
国内メーカーは乗用車の国産化に奮闘しましたが、戦時体制が進むと開発は中断、軍需用トラックの生産に注力しました。
戦後も引き続き、復興のためのトラックが主役でしたが、昭和30年代になるとトヨタの純国産クラウンが発売され、いよいよ乗用車市場が開けてきました。
今回は、日本の自動車産業黎明期にある国内自動車メーカーの様子を見てみましょう。

第2章 戦中~戦後の復興

その3. 大戦前後の他社メーカーの動向

●ダイハツ工業

ダイハツの起源は1907(明治40)年に設立された「発動機製造株式会社」で、日本で最も古い自動車メーカーといわれています。
東洋工業の「DA型」3輪トラックの前年1930(昭和5)年に、自社製エンジンを搭載した3輪トラック「HA型」の発売で自動車市場に参入しました。
戦中から戦後の長きに渡り、東洋工業とともに3輪トラック界の双璧をなす2大メーカーとなり、ライバルとして激しく競い合いました。
1951(昭和26)年に「ダイハツ工業株式会社」に改称し、1957(昭和32)年には軽3輪トラックの「ミゼット」を発売しました。

ダイハツの3輪トラック「HA型」(1930(昭和5)年12月)。
ダイハツの3輪トラック「HA型」(1930(昭和5)年12月)。
ダイハツ ミゼット(1957(昭和32)年8月)。
ダイハツ ミゼット(1957(昭和32)年8月)。

●日産自動車

1931(昭和6)年に、「ダット自動車商会」と「ダット自動車製造」が合併して「戸畑鋳物」の傘下に入り、新たに「自動車製造株式会社」を設立しました。その名称を1934(昭和9)年に変更する形で誕生したのが、日産自動車です。
第1号モデルは「ダット自動車(脱兎号)」で、1914(大正3)年に「ダット自動車商会」の前身である「快進社」が開発しました。ダット(DAT)は、出資者の田、青山、竹内の三氏の頭文字から取っています。
トラックとしては、1938(昭和13)年に排気量3670ccの6気筒エンジンを搭載した日本初のキャブオーバータイプ「ニッサントラック80型」を市場に投入しました。

ニッサントラック80型(1938年)。
ニッサントラック80型(1938年)。
80型のバス(1938年)。
80型のバス(1938年)。
80型のバン(写真は1939年型)。
80型のバン(写真は1939年型)。

●トヨタ自動車

トヨタ自動車は、豊田佐吉が創業した「豊田自動織機製作所」の社内に設立した自動車部門としてスタートしました。その後、1937(昭和12)年に自動車部門が独立して誕生したのが「トヨタ自動車工業」です。
2代目社長の豊田喜一郎は、フォードやGMが国内市場を席巻する中で、エンジンからボディまで完全オリジナルの乗用車にこだわりました。
1936(昭和11)年に、排気量3390ccのエンジンを搭載した積載量1.5トンの「G1型トラック」と「AA型乗用車」の生産を開始しました。
戦後の1955(昭和30)年には、悲願だった初の純国産乗用車「トヨペット・クラウン」と、その兄弟車「トヨペット・マスター」を発売しました。

トヨタG1型(1936(昭和11)年)。
トヨタG1型(1936(昭和11)年)。
トヨダAA 6気筒中型乗用車(1936(昭和11)年4月)。
トヨダAA 6気筒中型乗用車(1936(昭和11)年4月)。
トヨペット・クラウン(1955(昭和30)年1月)。
トヨペット・クラウン(1955(昭和30)年1月)。
トヨペット・マスター(1955(昭和30年1月))。
トヨペット・マスター(1955(昭和30年1月))。主な顧客をタクシー業界としたモデルで、クラウンに対してより耐久性を重視した。
初代クラウンとマスターの発表会。
1955年1月7~8日にかけ、当時の東京・芝琴平町にあった東京トヨペット(いまのトヨタモビリティ東京 虎の門店か?)で行われた初代クラウンと兄弟車「マスター」の発表会の様子。

●三菱自動車

三菱自動車は三菱グループに属する自動車メーカーで、三菱財閥の流れを汲みます。
三菱財閥は、1870(明治3)年に岩崎弥太郎が土佐藩の運営する土佐商会を独立させ、「九十九商会」と改称したのが始まりです。
1918(大正7)年に、三菱造船が日本初の量産乗用車「三菱A型」を販売しました。その後1934(昭和9)年に三菱重工業に名称変更し、1947(昭和22)年には小型3輪トラック「みずしま3輪TM3A」を発売しました。
1970年に重工の自動車部門を独立させて、いまの「三菱自動車工業」が設立されました。

三菱A型(1918(大正7)年)。
三菱A型(1918(大正7)年)。
みずしま3輪 TM3A(1947(昭和22)年)。
みずしま3輪 TM3A(1947(昭和22)年)。

●SUBARU(スバル)

富士重工の起源は、元海軍機関大尉の中島知久平が創立した「飛行機研究所」です。
飛行機研究所は1919(大正8)年に「中島飛行機製作所」になりましたが、終戦とともに飛行機の生産を停止し、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により15社に分割されました。
一旦分割されたものの、1950(昭和25)年にその中枢が「富士産業」として再出発し、さらに1953(昭和28)年には飛行機、そして新たな自動車開発のため、「富士重工業」が設立されました。
最初に手がけたのは1954(昭和29)年の「ふじ号(バス)」です。

●本田技研工業

ホンダは、本田宗一郎によって創立された「本田技術研究所」が起源で、1948(昭和23)年に設立されました。1949(昭和24)年に2輪車の「ドリームD型」を生産開始、1958(昭和33)年には世界的な超ロングセラーとなる「スーパーカブ」を発売します。

ホンダ ドリームD型(1949(昭和24)年8月)。
ホンダ ドリームD型(1949(昭和24)年8月)。
ホンダ スーパーカブ(1958(昭和33)年8月)。
ホンダ スーパーカブ(1958(昭和33)年8月)。

4輪事業へ参入したのは遅く、1963(昭和38)年に発売した軽トラック「T360」と小型スポーツカー「S500」が最初です。

ホンダT360(1963(昭和38)年8月)。
ホンダT360(1963(昭和38)年8月)。国産初のDOHCエンジン搭載車は、ホンダの軽トラックだった。
ホンダS500(1963(昭和38)年10月)。
ホンダS500(1963(昭和38)年10月)。

●スズキ

スズキの起源は、1909(明治42)年に鈴木道雄が創業した「鈴木式織機製作所」です。
自動織機の開発生産を行っていましたが、1952(昭和27)年に補助用エンジン(2サイクル36cc)付の「パワーフリー号」の販売を始め、2輪車への進出を果たしました。
1954(昭和29)年に「鈴木自動車工業」へと社名を変更して、翌年1955(昭和30)年には日本初の軽自動車「スズライト」を発売し、4輪車へ進出しました。

スズキ スズライト セダン(1955(昭和30)年10月)。
スズキ スズライト セダン(1955(昭和30)年10月)。
スズキ スズライト バン(1955(昭和30)年10月)。
スズキ スズライト バン(1955(昭和30)年10月)。

(Mr.ソラン)

第8回につづく。


【関連記事】

第2章・戦中~戦後の復興
その1.戦時体制下の東洋工業(第5回・2020年7月5日公開)
その2.戦後の復活、4輪トラックの時代へ(第6回・2020年7月6日公開)

この記事の著者

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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