ルドルフ・ディーゼルとは?高効率のディーゼルエンジンを発明したドイツ人技術者【自動車用語辞典:クルマの偉人編】

■当時主流の蒸気機関に限界を感じ、効率の良いディーゼルエンジンを開発

●偉大な発明家だが最後は不審な死を遂げる、自殺か?暗殺か?

誰もが知ってるディーゼルエンジン、それを発明したのがドイツ人のルドルフ・ディーゼルです。蒸気機関に替わる画期的な動力源として、以後現在も自動車だけでなく、船舶や発電機などで主流の動力源となっています。

高効率で汎用性の高いディーゼルエンジンを発明したルドルフ・ディーゼルについて、解説していきます。

ルドルフ・ディーゼル
ルドルフ・ディーゼル(写真:Wikipedia @public domain)

●ルドルフ・ディーゼルのヒストリー

・1858年:ドイツからパリに移住した製本職人の息子として誕生

・1870年:普仏(フランス帝国-プロイセン王国)戦争勃発によりフランスから退去させられ、一家はロンドンに移住。ディーゼルだけは、ドイツアウクスブルクの親戚の家に下宿

・1873年:工業学校に進学

・1875年:ミュンヘン工科大学に進学

・1880年:ミュンヘン工科大学を首席で卒業後、担当だったリンデ教授の助手として冷凍装置を設計、製造する仕事に従事

・1890年:アンモニアの蒸気を使った蒸気機関を開発、ただし実用化には至らず。

・1893年:熱効率の高い内燃機関の論文を発表して、ディーゼルエンジンの研究を推進

・1897年:ディーゼルエンジンを発明。従来の外燃機関や内燃機関に対して約2倍以上の熱効率を達成して世界の注目を浴びる。

・1913年:イギリスへ向かう航海中にイギリス海峡にて消息不明(その後、死去確認)

●功績

1880年代当時の動力源は、「蒸気機関」が主流でした。最初の自動車は蒸気機関を動力にした蒸気自動車でしたが、動力源としては大型で熱効率が低いため、自動車の普及には貢献できませんでした。

そのため、ディーゼルは熱効率の向上が見込める「内燃機関」に注目しました。

1893年、内燃機関に関する研究を重ね、1897年遂に新しい内燃機関「ディーゼルエンジン」を発明しました。

最大の特徴は、燃料として軽油を利用すること、軽油はガソリンを蒸留する過程でできる副産物なので安価に入手できること、そしてディーゼルエンジンは多少粗悪な燃料でも着火でき作動できることです。

当初のディーゼルエンジンは、高いシリンダー圧に耐えるため頑丈で大型になるので、自動車への適用には数十年を要しました。粗悪な燃料でも作動できることから、最初は主として発電機用、船舶用として活用されました。

●エピソード

・ディーゼルが発明した内燃機関は、当初は「合理的熱エンジン」と呼んでいました。「ディーゼルエンジン」と命名したのは、妻のマルタでした。

・ディーゼルは、適正な特許権を支払えば、誰もが製造できるようにしました。これが、後のディーゼルエンジンの飛躍的な進化と普及に繋がり、幅広い分野で活用されるようになりました。

・ディーゼルはイギリスへの航海中に消息不明となり、不審な死を遂げました。2つの説があり、謎になっています。

ひとつ目は、借金による投身自殺説。

ディーゼルエンジンの優れた性能は認知されていましたが、まだ利益が出せるような事業化ができておらず、巨額の借金がありました。

ふたつ目は、ドイツ秘密警察による殺害説。

当時ドイツはイギリスと激しい建艦競争をしていました。その最中にディーゼルは売り込みのために、イギリスへ向かっていました。ドイツにとっては、反逆的な行動でした。


ディーゼルエンジンは熱効率が高いことが大きな強みですが、さらに燃料性状が良くない時代の粗悪な燃料でも運転できることも、広範な分野で動力源として普及した理由です。ただし当初は小型化が難しかったので、クルマへの適用には時間を要しました。

ディーゼルエンジンの発明は、ワットの蒸気機関の発明にも負けないくらい、工業会に貢献しました。

(Mr.ソラン)

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる