●技術の伝承などを目的に有志のクラブ員が休日返上で再生を行った
日産フーガやトヨタクラウンといった高級セダンがサーキットを疾走する姿を皆さんは思い浮かべることができますか? 私はできませんでした。しかし、前回東京オリンピックが開催された1964年の第2回日本GPでは当時の高級セダンがサーキットで激しいバトルを繰り広げていたのです。
2020年2月1日に横浜にある日産本社ギャラリーにおいて、日産名車再生クラブが2019年にレストアを行い再生した、プリンス・グロリア・スーパー6 第2回日本グランプリT-VIレース仕様車がお披露目されました。
レストアを行った日産名車再生クラブとは、2006年4月に日産テクニカルセンター内の開発部門の従業員を中心にサークル(現在はクラブ)として活動を開始。現在はコアメンバー13名をはじめ、関連会社からも参加し平均80名のクラブ員がいる有志のクラブです。
このクラブ活動の目的は、日産自動車の財産である歴史的な車両を当時の状態で動体保存すること。そして、古いクルマを再生する課程で先人のクルマ造り、技術的な工夫や考え方を学ぶという2点となっています。また、活動は時間外で、主に会社の休日を利用して実施しているそうです。
これまで日産名車再生クラブは、発足した2006年にシルビアをベースとしたラリーカーである240RS 1983年モンテカルロラリー仕様車を皮切りに、2013年にはダットサン240Z 1971年サファリラリー優勝車などラリーカーやレーシングカー。また、2010年にはたま電気自動車などを再生し、2019年はプリンス・グロリア・スーパー6 第2回日本グランプリT-VIレース仕様車となりました。
このクルマを再生した理由は、歴史的な第2回日本GP優勝車両であること。そして、同じ第2回日本GPに参戦したS54A-1(2012年再生済)とともにサーキットを走らせたい。日本モータースポーツ創世記のクルマづくりを学ぶ。という3点だったそうです。
ベースとなった2代目グロリアは1962年にデビューし、1963年には2Lクラスで国産初となる「G7型」と呼ばれる直6SOHCエンジンを搭載したスーパー6を追加しました。このG7型エンジンは最高出力105psを発生し、日本で初めて100psを突破した名機でもあるのです。
このハイパワーを活かして、モータースポーツでも活躍し、1964円の第2回日本GPの「T-VIレース」では大石秀夫選手がドライブする39号車が優勝、杉田幸朗選手の38号車が2位に入り、1-2フィニッシュを決めました。
再生完了宣言を行った、クラブ代表の木賀進一さんは「このクルマはレースカーではなく、ショーカーとして作られたレプリカだったので、オリジナルとかなり異なる部分がありました。しかし、当時の資料や雑誌などを見て見える部分は忠実に再生しました」と力強く再生完了宣言が行われました。
当日は、R32型スカイラインGT-Rの開発主任だった伊藤修令さんやG7エンジンの開発にも携わった野田孝男さん、そして日本モータースポーツ推進機構理事長の日置和夫さんといった日産OBも駆けつけ、再生したクルマを懐かしそうに眺めていました。
このプリンス・グロリア・スーパー6 第2回日本グランプリT-VIレース仕様車は、日産本社ギャラリーのヘリテージゾーンにて展示されますので、ぜひ日本のモータースポーツの黎明期の雰囲気を感じてみてはどうでしょうか。
(萩原文博 写真:日産自動車)