●日本国内での最後のレース前に、自身の心境を語ったバトン選手
スーパーGT最終戦が行われたツインリンクもてぎで2日、このレースを最後に2年間のスーパーGTでの活動にピリオドを打つ事を自身のSNSで発表した、ジェンソン・バトン選手が記者会見を行いました。
そこでは、バトン選手がF1から降りた後、なぜスーパーGTに参戦しようと思ったのか、そしてなぜこのタイミングでスーパーGTを去ることを決めたのか。また一緒に戦ってきた仲間や見守ってきたファンへの率直な気持ちを隠すことなく語ってくれました。
それでは、その一部始終をご紹介したいと思います。
「僕は人生というのは、いろんなチャレンジがあってこそ充実して楽しいものだと思っているんだ。F1を降りた後、僕がスーパーGTに挑戦する事を決めたのは、(本格的に参戦する前に1度、スポットで参戦してみて)とてもエキサイティングなレースだと感じたからだ。ここでは1台のクルマをシェアしたり、速さの違うGT300とGT500が混走でレースをする事など、多くのことを学ばなければならなかった。そんな新しい事すべてを味わい、楽しみながら挑戦できたと思っているよ。」
「2年間お世話になったチームクニミツは本当に素晴らしいチームで、一緒に仕事ができて本当に楽しかった思い出ばかりが浮かんでくるよ。この伝統のあるチームにはまだ若いスタッフやメカニックが多く、まだ経験の浅いところもあるけれど、そんな彼らと一緒に2年間仕事をしてきた事は誇りに思っている。そして昨年チャンピオンシップを獲得できた時は、クニさんやチーム全員と感動を共有できたと思っているよ。クニさんという人は、2輪4輪合わせて何十年もの、レーサーとして素晴らしいキャリアを持っているけれど、そのクニさんのあの時の嬉しそうな表情は忘れられないね。」
「そして(山本)ナオキは、僕が初めて心から速く走って欲しい、頑張って欲しいという気持ちになったチームメイトで、2年間本当に良い雰囲気、良い環境でレースができた。(ドライバー交代のある)耐久レースは僕にとって初めての経験だったけど、チームメイトとしっかりコミュニケーションを取る事やチーム全員でレースをする事は重要だったし、ナオキからもいろんな事を学ぶことができた。GT500は来年からまたレギュレーションが変わるけれど、ナオキをはじめチームの事はこれからも応援したいと思っているし、頑張ってほしいと願っているよ。」
──クルマをシェアしてレースするのは初めてだと思いますが、いい意味で苦労した点を教えて下さい
「僕は身長183〜4cm、ナオキとは20cmの差があるんだ(笑)なのでシートポジションでのお互いの歩み寄りは厳しかったと思っているよ。
先日ホッケンハイムでのレースの時はシートポジションやステアリングの位置、すべてが自分にピッタリ合わせて走ることができた。だけどシェアしている時はそういうわけにはいかない。お互い自分にピッタリなポジションではない中で、足や腕などからクルマのバランスや感覚を掴むという重要な部分を、どう歩み寄るかというところは苦労したね。
──今後の予定を教えて下さい。ネットでの噂ではNASCARという話もありますが、あるいはトヨタやニッサンに行くことはありますか?
「まず、トヨタやニッサンということは絶対にないね(笑)僕は長年ホンダのアンバサダーとしてたくさんの仕事をしているし、ホンダは僕にとってのホームなので、日本の他のマニュファクチャラーで走るということはありえない、それだけは断言できるよ。ただもしかすると来年は、ホンダと一緒に仕事をすることもないかもしれない。」
「NASCARについては、確かアメリカン・ホンダだったかな? ネットで将来的にはNASCARに挑戦したいって記事が出た時には僕はTwitterで『I’m ready!』って応えた事はあったね(笑)
僕は大きなチャレンジをする事が大好きだし、これからもチャレンジは続けていきたいと思っているから、チャンスがあればぜひやってみたいと思っているよ。でもF1ドライバーはNASCARでは苦戦するっていう話は聞いているから、最初は下のクラスのシリーズ(エクスフィニティシリーズ)やトラックシリーズあたりでちょっと楽しめるくらいが良いのかもしれないね。
とにかく将来的にはそういう機会があればいいなと思っているけど、今の所は来年の前半に関しては何も予定はないし、できる限り家でゆっくり過ごしたい、来期の予定は何もないよ。」
──日本のレースを去る理由を教えて下さい
「日本では素晴らしい2年間を過ごさせてもらったよ。特にチャンピオンシップを獲得した1年目はね。
F1を離れる時、次はどんな大きなチャレンジをしようか、とにかく僕自身がチャレンジしたいものを一生懸命探したんだけど、その中でスーパーGTは、僕が今まで経験したことのなかったタイプのレースだったから凄く良いチャレンジだったし、そこでチャンピオンシップを獲得できたっていうことは、僕の人生にとって深い意味のあるものだよ。
そして2年が経って、次のチャレンジを求めているんだ。僕は今39歳、まだ最近のレーサーの中ではそんなに歳をとったレーサーってわけじゃない。特に日本ではね(笑) 今ならまだ次のチャレンジはできるけど、これからあと2、3年日本に留まるとそのチャンスを逃してしまうかもしれないと思うんだ。だから特別何か気に入らない事があってというわけじゃなくて、行けるうちに次のチャレンジに向かって頑張りたいと思っているんだよ。」
──新しいご家族が誕生されたということですが、それがご自身にとってどんな影響を与えたと思いますか?
「良い質問だね(笑)
そう、やっぱり家族ができると人は変わる、みんなもそう思っているんじゃないかな。ただ僕は(レーサーだから)クルマに乗ってしまえば今まで通りだ。でもヘンドリクス(バトンの息子さん)が生まれてからはSUGOではレースをリードできていたし、富士では表彰台にも上れた。すごくいい成績を残しているんだ。家族の存在がいい結果につながっているって事もあるんじゃないかな。
でもやっぱり今シーズンは、毎回レースやテストのたびに家を離れて日本に来ていたので、今はできるだけ家で、家族と過ごしたいと思っているよ。」
「でもレースは一生続けていきたいと思っているよ。80歳になってもレーシングドライバーとしてレースを辞めることはないと思う。スターリング・モスが仰るように、最後までKeep Racing、人生とはレースを続ける事だと思うし、それこそがエキサイティングなんだよ。」
──新しいチャレンジとしてどんな事をやりたいのか、具体的に頭に浮かんでいることや思い描いていることはありますか?
「いくつかあるね。実は僕はオフロードが大好きで、バハ1000に参戦するんだ。それがたまたまDTMとの交流戦と同じ週末になってしまったんだけど、凄く楽しみにしているんだ。将来的にはまたル・マン24時間にも参戦したいと思っているよ。新しいレギュレーションのハイパーカーも楽しみだしね。それからNASCARも視野に入れているよ。僕はまだまだフィジカルでも衰えていないと思っているし、まだまだチャレンジできると思っているから、例えばカートのワールドチャンピオンシップでも良いと思っているよ(笑)」
「僕はF1ドライバーとして(ワールドチャンピオンという)最高な歴史に名前を刻むことができたし、スーパーGTでも素晴らしいキャリアを積むことができた。それでも僕のハングリー精神は未だに次のステップに行きたいと、ワクワクしているんだよ。」
「そして最後に、この場を借りて日本の皆さんに感謝の気持ちを伝えたい。僕は日本の文化、日本のモータースポーツファンが大好きです。そして1997年に初めて日本に来てカートで走った時から、とてもコンペティティブで競争の激しい、本当に素晴らしい日本のモータースポーツに凄く憧れていました。日本でレースをするというのは僕の夢だった。その夢を叶えてくれたホンダにもとても感謝しています。ありがとう。」
(H@ty)