新型Mazda3のデザインは「手間暇をかけた」シンプル?

●「手に入れられるコンセプトカー」マツダ3のデザインの秘密とは?

「引き算の美学」というキーワードが大きく話題となった新型Mazda3。では、そもそもなぜ引き算なのか? また、それは「シンプル」とは異なる思想なのか? その秘密について、さっそくチーフデザイナーの土田氏に聞いてみました。

── マツダのデザインフィロソフィ「魂動」の第2章は「引き算の美学」となりました。ただ、成功した第1章を考えればもっとさまざまな方向があり得たと思いますが、なぜ「引き算」なのでしょう?

「いまのトレンドは言わば足し算なんですね。他社(車)との差別化を狙うとグラフィック的に盛った方が分かりやすいし、楽でもある。実は、僕たちも当初はより動きを強める方向で検討していたんですが、1年くらいやってみて違和感を持ちました。やはりどうしても過激でクドくなってしまうんですね。そこで1回リセットしてみようとなったわけです」

── その第2章はキャラクターラインに頼らないとしていますが、たとえばかつてのユーノス500や、あるいは初代アテンザなど、ラインに依存しないクルマは以前にもありましたね。それらとの違いはどこにありますか?

「たとえば90年代の「ときめきのデザイン」はどちらかと言えば静的な表現だったのに対し、今回は意志を感じる動きを持たせていることでしょうか。キャラクターラインはないけれど、その中でどうダイナミズムを持たせるか。マツダにはもともと多くの優秀なモデラーがいましたから、その技術をうまく活用できたと思います」

── フロントフェイスやリアランプの表現は第1章の要素を強く残しましたが、これは意識したものですか?

「そうですね。やはり、信頼できるブランドを築くには相応の時間を掛けないといけない。ただ、変化でなく進化としてグリルの断面はかなり立体的になっているし、ランプの光り方も従来の平面からシリンダー状として奥行き感を出しています。そうして表情全体に深みを与えています」

── 新しいセダンはあくまで3ボックスの様式を踏まえたということですが、ファストバックとは異なるセダンなりの「驚き」は考えなかったのでしょうか?

「ええ。セダンの狙いはフォーマルなスーツなんです。その中でどう仕立てをよくするかが肝要で、長い時間の中で魅力を伝えたい。実は先代のアクセラセダンはまさにクーペライクな新しさを狙ったのですが、市場ではセダンとして認識されなかったんですね。なので、あえてパッと見の新しさは狙わず、全高をギリギリまで下げたプロポーション自体に新しさを込めているんです」

── マツダの「引き算」は和のイメージと明言していますが、和と洋のシンプルの違いはどこにあると考えていますか?

「まず、和(日本)はシンプルに見せるために非常に手間暇を掛けている点でしょう。和食の出汁へのこだわりとなどがいい例ですね。それと「余白」の美。これはフラワーアレンジメントと華道の違いで、前者がいかに華やかに盛るかの一方で、後者はどう余白を作るのか。書道などにも共通しているかもしれませんね」

── 最後に。マツダはいま「CAR AS ART」を標榜していますが、一方でクルマはプロダクトデザインであって芸術ではないとも言われています。その点はどう捉えていますか?

「ビジネスの要素が大きいプロダクトデザインと、純粋な芸術のちょうど中間を狙っているということでしょうか。手に入れられるコンセプトカーとも言えるかな(笑)。アップルのノートPCが出たときに似たようなインパクトがありましたが、プロダクト製品なのにアートを感じる。そういう立ち位置を目指したいと考えています」

── 誰でも買えるけど量産品とは思えない美しさですね。それはあり得るかもしれません。今日はありがとうございました。

【語る人】
マツダ株式会社 デザイン本部 チーフデザイナー
土田 康剛 氏

(インタビュー・すぎもと たかよし)

この記事の著者

すぎもと たかよし 近影

すぎもと たかよし

東京都下の某大学に勤務する「サラリーマン自動車ライター」。大学では美術科で日本画を専攻、車も最初から興味を持ったのは中身よりもとにかくデザイン。自動車メディアではデザインの記事が少ない、じゃあ自分で書いてしまおうと、いつの間にかライターに。
現役サラリーマンとして、ユーザー目線のニュートラルな視点が身上。「デザインは好き嫌いの前に質の問題がある」がモットー。空いた時間は社会人バンドでドラムを叩き、そして美味しい珈琲を探して旅に。愛車は真っ赤ないすゞFFジェミニ・イルムシャー。
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