2019年生誕50周年のフェアレディZ、レース復活を後押ししたのはOPT-Z31だった!?←妄想【Play Back the OPTION Spin off】

【アメリカ人気に押され(?)Z32、JGTCに参戦!】

Z32が登場したのは、1989年7月。このZにより最高速、ゼロヨン、ボンネビル他、チューニング業界は大賑わいになりましたよね(の詳しくはこのコーナーで後々…)。

アメリカでは昔から「Z祭り」なんですよね〜! Photo提供:NISMO

フェアレディZ大好きなアメリカでは、Z31に続きレースの世界でも大活躍! IMSAでは1990年からプレジデントのV8を搭載したZ32がアメリカ〜ンな雰囲気満載で、スティーブ・ミレン選手などにより賑やかにレースシーンを飾っていました。

谷田部のバンクではありません。オーバルコースのバンクを走るIMSAのZ32です! Photo提供:Mutsumi KUMAGAI(熊谷 睦)

そして我が日本。1994〜1997年まで、S-GTの前身(名称変更前)のJGTC・GT500クラスに、ほとんど中身はBNR34?というIMSA-GTS仕様の「FEDEX 300ZX」が、影山正美選手などによりエントリーしました(※画像無し…スミマセン)。

そう、Z31では叶わなかった「Zを日本のサーキットへ!」の願いは、Z32が叶えてくれたのです! よかったね〜、Daiちゃん!

【ホッチ監督のIMPULもZ33でGT500に参戦!】

Photo提供:NISMO

2002年7月にデビューしたZ33は、翌2003年のJGTC・GT300クラスにシルビアに代わって参戦(V6・VQ35DE)。2004年からBNR34に代わりGT500にエントリーしたのが、ツインターボのZ33(V6・VQ30DETT)です。

しかも、Daiちゃんの大好きなホッチこと星野一義監督率いるTEAM IMPULも参戦したのですから、Daiちゃんにとってよい冥土の土産になったのではないでしょうか(笑)。

星野一義監督(左)/井出有治選手(中)/ブノワ・トレルイエ選手(右)。井出選手はIMPULでのフォーミュラニッポン経験を経て、F-1へとチャレンジしたのです! Photo提供:NISMO
2018富士500マイルレースで再会をしたブノワ・トレルイエ選手(左)と井出有治選手(右)。まさに、戦友! Photo提供:Yuji IDE(井出 有治/Y’s Racing)

JGTC・GT500参戦初年度の2004年から翌2005年、TEAM IMPULのドライバーはブノワ・トレルイエ選手と、2006年にF-1へチャレンジした井出有治選手。ちなみに、先日行われたS-GT「2018富士500マイルレース」時、Z33でGT500に参戦していたのと同時期に、同じTEAM IMPULからフォーミュラニッポンへ2カーエントリーしていたブノワ選手&井出選手によるゴールデンコンビの再会シーンがあり、なんだか懐かしく、嬉しかったデス!

Z33GT500初年度のシリーズチャンプは、XANAVI NISMO。 Photo提供:NISMO

その後、R35・GT-Rに変わるまでの2007年まで、ホッチ監督のカルソニックIMPUL他、XANAVI NISMO、MOTUL AUTECHやエンドレスADVANなどの多くのチームがZ33でS-GT・GT500クラスに参戦し続けたのです(※2005年にJGTCからS-GTに名称変更)!

GT300のZ33は2010年まで参戦し、最終年のシリーズチャンプはHASEMIモータースポーツでした。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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