実は突貫仕様だった!? OPT300ZX耐久レース仕様を詳しく見てみると……その8【OPTION 1985年7月号より】

<タイヤ担当:横浜ゴム>
サイズもなんとストリート仕様のまんま!

レースで重要なタイヤはヨコハマが担当したが、ストリートに近い姿ということで、市販ラジアルを採用。それでも輸出用A008というのがOPTらしいだろう。パターンはアドバン・タイプDだが、コンパウンドが違い、サーキット走行にも十分使えるのだ。

サイズは205/55、225/50、245/45のVR16を用意し、東名製ターボ・ホイールに組む。このホイールはいかにも男性的なデザインでブレーキ冷却効果もある。レースでは重量級ZXと300psのパワーを駆使するには容量不足だったが、162周走っても、ほとんどすり減らない点が完走に大きく貢献したのだ。

<サスペンション担当:東名自動車>
間に合わせのサスセッティングで苦労

実はサスペンションはNISMOスポーツが担当したが、レースには間に合わず、東名で製作した。コイルスプリングは1種類で、ダンパーもカヤバ(後は8段調整式)の市販レース用を加工して取り付けるという応急処置だ。

このため、車高調整もエンジンが載った予選前日に、コイルをカットして合わせる事態になった。スタビライザーもノーマルしかなかったのだ。

これでもサスはソフト気味で、しかもロールするためステアリングは鈍感で切り始めは曲がりにくく、オーバーステア現象も発生するという扱いづらさだった。しかし、第2戦からはNISMO製で強化されるのでコーナリングスピードは速くなること必至だ。

【裏話:ホントは予選落ち…だった!?】

当初、OPT300ZXはLD3クラスで登録していた。ところが、突然のランチア参入で、このレースは準国際格式から国際格式に格上げされてしまい、ドライバーのライセンスの関係からLD2クラス登録を余儀なくされてしまった。

LD2クラスといえば、寺田/従野/片山駆るマツダ737Cとか、レノマ84CなんていうグループCカー群の中で戦わなきゃいけないわけだ。

なんとなく「損した感じ」で迎えた公式予選。ベストタイムは84年度F3でシリーズランキング2位に輝く山田英二がマークした1分51秒67。このタイムは予選登録29台中25位であった。といえば聞こえはいいが、内2台は出走せず、さらに2台はリタイヤしたわけで、つまり……。おまけに予選通過タイムの1分49秒に2秒およばず……。厳密にいえば予選にて既に散ってしまっていたのだ。

しかし、出走台数が少ないという理由で嘆願書が受理され、決勝レースも走っていいよ!ということになった。多賀TMSC会長殿、ありがとうございました。ホント、一時はどうなることかと思ったが、予選で討ち死に!なんて、カッコ悪くてしようがないもんね。

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裏話のほうが面白かったりして!! でも結果、完走し賞金も頂いたのだからOKでしょう。次回は、ドタバタなピットレポートをプレイバックします!

[OPTION 1985年7月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

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この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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