関西の意地と気合で最速記録を塗り替えた! その3・トライアル3LツインターボZ編【OPTION 1985年4月号より】

谷田部で日々、繰り広げられていた最高速トライアル。ステージが茨城県内の日本自動車研究所(通称:谷田部)なだけあり、やはり関東のメーカー&ショップが有利なのはいうまでもありません。

そんな中、はるばる500km以上の距離を移動してのトライを続けていた関西軍団。カーショップF-1や黒金Zでお馴染みMレーシング、カキモトレーシング、そしてチャレンジ(後のトライアル)などが名を馳せていました。その中のトライアルがついに! それまでの最高速記録だった光永パンテーラの記録、307.69km/hを超す大記録を叩き出したのです。では、そのトライアルZをチェックしてみましょう!

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データの積み重ねからこの記録は生まれた!
トライアル3LツインターボZ 307.95km/h

最高速307.95km/hをあっさりとマークしたトライアルZ 3Lツインターボ。このレコード達成の原点は、OPT1984年8月号で紹介したトライアル3.1Lシングルターボの記録、279.07km/hだった(※clicccarでは未紹介デス)。

そしてこのスピードをマークした時点から、ツインターボ化したもう1台のS130Zを製作する計画は始まっていた。1984年6月ごろから少しずつ、慎重に細心の注意を配って、エンジンを完成させたのが8月。しかし、谷田部スペシャル的なエンジンにしたくなかったため、ピストンクリアランスは6/100mmであった。

このクリアランスは、ストリート用で耐久性を重視したものだが、当然きちんとしたナラシは不可欠だ。じっくりと3000kmのナラシを行い、最高速トライに向け、細部のセッティングが続けられていった…。

今回の記録は決して運が良くて出たものではなかった。まず過去の最高速マシンの情報を集め、その中のデータと、自らが今まで貯えてきたノウハウをミックスして、トライアルの全精力が注ぎ込まれた。

たとえばキャブレターにしても、ソレックスでのトライでは、ブーストを1kg/cm2かけるとガソリンがにじみ出てきてしまう。対策を行ったが1.2kg/cm2以上にはどうしても耐えられなかった。そこでOERのキャブに変更してテストを行ってみたところ、1.4kg/cm2のブーストでもガソリンがにじんでこない。そこでキャブをOERに決定した。

口径については45φにすれば吸入抵抗などからも有利。口径を決めた後は、どんどんセッティングを詰めていった。カムシャフトについても、シングルターボでのデータを生かして改良を加えたものとしている。

排気量については、3.1Lや3.2L用に使用するLD28用のロングストロークのクランクを使わずに、高回転域での伸びを重視したL28用のクランクを使用して2947cc。この点もやはり今までの谷田部での結果を冷静に判断したものだ。

ブースト圧については、地元のテスト中に1.4kg/cm2で5速6000~6100rpmに保ってセッティングを行っていた。が、ミッションがパワーに負けてトラブルが続出してしまった。そのため、セーフティマージンを考えて、1.1kg/cm2に下げて再度セッティング。このためパワー的には570psくらいから460psほどに低下した。しかし一発勝負的でマイナートラブルを許さない谷田部でのトライには、逆に安心感を生む結果となった。

空力面については、いかに空気を味方にするかがポイントだった。ラジエター、インタークーラーを通った空気をどのように抜いていくか? とにかく空気の抜けだけを細かく考えていった。S130にL型エンジンの場合、ボンネット上方に空気を抜くのは形状の問題で難しい。そこで下方によりスムーズに抜いていくことにした。フロントスポイラーについても、過去のテストドライバーのコメントとテストカーの写真からセレクトしていき、今回のチャレンジアップレーシング製に決定した。

足まわりについては、3.1Lシングルターボの足を基本として、バンクでの走行をより安定したものにするべく細部のリセッティングを行った。

最後に基本に戻って、どのようにしてこの記録が出たかを考えてみよう。関西からの参加は地域的に不利だ。そしてトライに出場する回数も関東地方のショップに比べると少ない。が、これらの不利な点が、必然的に1回のトライに向けた内容の濃いチューニングやセッティングを生み、セーフティマージンを大きくとったことがマイナートラブルの発生を抑えたのだ。

トライアルのこれらの努力の結晶が、スピードとなって表れた数字、それが307.95km/hだ。

<正直コメント> トライアル 牧原道夫

もう体中がVサインの塊になったような気がしたネ。記録が出なかったり、エンジンブローした時の、谷田部から大阪への道は信じられないほど遠かったのに、今回はすぐに大阪に着いたようだった

まぁ今回のZに関しては、半年以上かけてターゲットを絞ったものだったし、関西人のイジを見せたい、まさに背水の陣で臨んだものだったんですヨ。記録が出たから良かったけれど、もし出なかったらショックが大きかっただろうネ。

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はるばる関西からの遠征なだけあり、失敗は気持ち的にもダメージが大きい。そこからの研究と努力の結果で生まれた最速記録! 記念に「東京オートサロン2018」で撮った画像もプラスして掲載しますね!(トライアル牧原さん+RE雨さんのツーショットもレアな感じ?)

さて次回その4では、OPTテストではなかった(涙)この3台の300km/hマシンをドライブした2名のドライバー・・・井上晴男さんと大川光一さんの「声」を聞いてみましょう!

[OPTION 1985年4月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

 

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この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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