OPT300ZXの大先輩たち、輝かしいフェアレディのレース模様をプレイバック! その6【OPTION 1984年11月号より】

歴代のフェアレディはレース参戦と共にストリートでも愛されてきたクルマです。Z31だってきっと、レースで輝かしい戦績を残したい…ハズ!? そんなフェアレディの歴代レーシングカーたちをプレイバックしてみましょう。OPT300ZXの未来も見えてくる、かもしれません。

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想い出せ! あのきらびやかなフェアレディのレース史を

フェアレディは、日本のレースの発展と共に成長し、常にスポーツカーの王者として君臨していた。が、S130系を最後に国内のレースシーンで目にすることができないなんて、本当に寂しい!

思い出してみれば、SP310時代には第1回日本グランプリでクラス優勝し、オジサンたちの青春の思い出の1ページを美しく飾ったものだった。

そしてレースがどんどんと広まりレースファンが増加していくときに、フェアレディSR311が登場した。ワークスを中心とした活動だったけれど、プライベートでも続々とレースに参加してレースの輪を広げていった。そんな楽しい時代で、今の一流ドライバーも一度はSR311のステアリングを握っているといってもいいほどだった。

時は流れて、男性的マシンSR311から華麗な変身を遂げて、初代フェアレディZ S30系が登場した。SRでレース活動をしていたマニアは、先を急いで、S30系の強力マシン、Z432でレースに参加する。

そして、日本のレース界が黄金期を迎えるころ、輸出モデルに使われていたL24エンジンを載せ、オーバーフェンダー、フロントノーズを付けた、S30系の極致と言われる240Zがサーキットを走り回り、ワークスを中心に暴れ回った。

今でも憧れのクルマに240ZGを挙げる人が多いのも、あのレースでの思い出がオーバーラップするからなのだろう。

しかし、オイルショックのころからワークスはレースから手を引き、排ガス対策にそのエネルギーを使ってしまった。これで、フェアレディの栄光の歴史は消えてしまうかと思えた。もっともフェアレディを愛する人たちによって、数は少ないながらもサーキットを走る姿はあった。

しかし、発売以来1年が過ぎた今、最新のZ31のレーシングカーはまだその姿を見ることができない。フェアレディ史の中で最強のマシンがレースに出てこないなんて、あまりにも寂しい。レースと共に歩んできたフェアレディの灯を消してはいけない!

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こうやって、歴代のフェアレディのレースシーンを思い返すと、やっぱりフェアレディはサーキットが似合うマシンなんですよね。ウォ~!!!と興奮するフェアレディ・レースファンの声が聞こえてきそうです。この「OPT300ZX世界耐久レースへの挑戦記」は、参戦へ向けての進展が見えましたらご紹介しますね。

[OPTION 1984年11月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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