1962年暮、山本健一部長が組織し、指揮する新部門RE研究部が始動します。設計、調査、実験、材料の4課構成で、総員数から『47士』のニックネームで知られます。
ライセンサーNSUをはじめ世界のRE開発者に『悪魔の爪痕』と呼ばれたハウジング波状異常摩耗をアルミ合浸カーボン・アペックスシールで解決したマツダは、一挙に乗用車RE化に進みます。松田恒次社長と後継松田耕平社長の執念といえるでしょう。少量手組みの初代コスモスポーツから一挙にファミリア、カペラ、サバンナ、ルーチェと派生車、そしてピックアップトラックからミニバスまで REを搭載しました。コンセプト、プロトは、軽乗用、リッターカー、大型セダン、そしてジャガーEタイプ、シボレー・コルベットを標的としたスーパースポーツまでありました。
アメリカでメーカー群を戦々恐々させたのが通称『マスキー法』大気清浄法規制ですが、マツダはいち早くREによる適合を発表しました。そこに、2度の石油危機が襲来します。REの排気対策は、サーマルリアクターなる、濃い混合気排気を2次空気導入で再燃焼する方式でした。当然、燃費には不利になります。米環境保護局はREをガス食いと評しました。マツダにとり不運なのは、REがスペシャリティではなく、全車種搭載だったことです。REフィールと性能で一挙にイメージを創り、そのイメージゆえに苦悩することになります。
マツダは粘りを発揮します。アメリカ市場踏み止まりに打ち出したのは、『スゴイ小さなクルマ』頭文字GLC(日本名ファミリア・ハッチバック)と性能に振り、装備を省いたRX-3 SP(12Aエンジン搭載サバンナ・クーペ)でした。日本のツーリングカーレースでスカイラインGT-Rを王座から追い落としたモデルです。次がスポーティクーペ、2代目コスモです。アメリカではV8には追いつきませんでしたが、日本ではREフィーリングが排気対策による性能低下に不満を抱いていた人たちにアピールし、貴重なヒット作となります。
この時期、山本健一さんは先進技術担当役員なる、多分に名誉職的地位におられました。不遜のようですが、私にとっては至福の時期でした。RE部長、役員期は、長くても1時間お話を聞いたのですが、倍、いやそれ以上、技術、世界情勢、経営など多岐にわたりご教導いただけたのです。RE電子制御のお話中での「フリップ・フロップ」、精密なスイッチングのことですが、妙に記憶に鮮明です。