1899年に設立された自動車メーカー「フィアット」。日本国内で販売されている海外ブランドとしては、ドイツ車ほどではありませんが、人気を集めているイタリアのブランドです。
面白いのが、このブランドのラインナップです。本国では「500」「500C」「500X」「500L」のシリーズに加えて、「Panda」「124Spider」「Tipo」「FULLBACK」「QUBO」「DOBLO」など様々な車種が販売されているのですが、日本では「500」「500C」「500X」「Panda」とかなり限られています。それも、いずれも趣味性の強いモデルばかりです。
というのも、ここ日本では「フィアット」を選ぶ決め手はデザインであり、派手派手しくなく、安っぽくもなく、誰が乗ってもオシャレに見せてしまうあのルックスこそが大事。実用性や燃費は二の次三の次です。
しかし、この「500」の歴史を遡ると、登場時はむしろ実用性を重視して開発が行なわれました。
そのルーツである「500A」が誕生したのは1936年のこと。1932年に発表した小型車「508(バリッラ)」の販売が好調だったフィアットは、大衆向けの自動車市場をさらに開拓するために、さらなる小型車の開発を企画していました。
当時のスタンダードであるはしご型フレームの前方に小型エンジンを搭載することで操縦安定性を高めたほか、2名が乗れるスペースも確保。その一方で、「508(バリッラ)」に搭載していた4輪油圧ブレーキや「1500」で好評だった流線型のスタイルなど、フィアットの粋が小さなボディに込められた贅沢な一台でした。また、8900リラ(約27万円)という価格は当時でも破格であり、小さなボディで駆け回る様子からハツカネズミを意味する「トポリーノ」の愛称でも親しまれたと言います。
その初代モデルの後継として開発されたのが「600(セイチェント)」でした。「トポリーノ」がFRだったのに対して、「600」はRRを採用。エンジンを車体後方に搭載することでプロペラシャフトなどを省き、結果として乗車定員は4名となり、実用性を大幅に高めることに成功しました。
しかし、戦後間もないこともあって、クルマよりも安価で買えるスクーターが移動手段として重宝されており、フィアット上層部はさらなる小型化を指示。ボディの小型化はもちろん「600」に搭載されていた水冷直列4気筒エンジンは空冷2気筒へ換装することで、ボディサイズ(全長×全幅×全高:2970×1320×1325mm)だけでなく価格も縮小させた「NUOVA500」が誕生したのです。さらに、スクーターを高く下取るなどの販促キャンペーンも行ない、四輪車の普及を大きく前進させました。
(今 総一郎)