さて、私の2代目RX-7 FCとマツダRE開発記録本の取材中(残念ですが、英語版のみです)のことです。私のマツダRE学の先生であった大関博課長(当時)が宇品工場脇倉庫探索を提案して下さいました。埃、オイルだらけなので、ふたり作業服を着用、小屋風建物内に積み上げれた試作エンジンの山によじ登り、谷で部品を掘り出しました。まさに宝庫だったのです。エンジン数台と部品を磨き上げ、開発本に写真を掲載しました。保存されていることを願います。
山本健一RE研究部長は、3、4ローターを試験台上で回すだけでは満足しませんでした。4ローターにふさわしい実験車が欲しいと持ちかけた相手が松井雅隆・車両レイアウト、デザイン部長でした。松井部長は、少壮3人のエンジニアに4ローター実験車の設計と製作を命じます。リーダーの絹谷誠は、コンセプトとレイアウトでは、マツダきっての逸材と評されたエンジニアでした。
デザイン部門は、ミドシップエンジン・オープンロードスターとクーペの1/5粘土モデルを製作します。絹谷は、製作のより容易なスポーツレーシング・タイプのロードスターを選びます。REについての規則も不明な時期であり、実戦参加は想定外ですが、車両規制にはできるだけ適合する設計でした。
構造は鋼管スペースフレームの下半分をボディ外板を兼ねたアルミパネルで補強、アッパーボディはファイバーグラス樹脂製、サスペンションはレーシング型ダブルウイッシュボーンとコイルスプリング/ダンパー、ラック&ピニオン・ステアリング、ブレーキは、住友ダンロップMk 31・4輪ディスク。ホイールはマゲネシウム鋳造を意図したのですが、工数、コストが合わず、鋼板製を装着しました。タイアはダンロップ・バイアスプライ・レーシング5.60-14と当時の標準サイズです。
単室容積400cc ×4ローター・ エンジンは、160 HP/6000 rpm、最高回転7000rpmを目標としましたが、松井部長の記憶では、三次コース・オープニングではとてもそこまで回せなかったそうです。カーヴィック・カプリング組み立てエクセントリックシャフト(レシプロのクランクシャフトに相当)のたわみがフル性能達成を妨げました。松井部長の話では、「想定最高回転どころか、なんとか走った程度」でした。
次のマツダ4ローター実験型2002が回るのは6年後になります。
(山口京一)