誕生、マツダ「コスモ・スポーツ」!  Cosmo との遭遇【RE追っかけ記-3】

 

マツダ・コスモスポーツは、1967年5月、 NSU Ro80セダンに3.5ヶ月先んじて『世界最初の2ローター生産RE車』として発売されました。

マツダ・コスモスポーツ初期L10A型。以前、マツダは手持ちの後期型L10Bを展示していましたが、最近L10Aを飾っているのは結構なことです。

マツダ(当時の名称は東洋工業株式会社ですが、ここではマツダとします)は、1963年東京モーターショーに単室容積398cc1ローターと2ローター・エンジン単体と部品を展示しました。ショー会期中、松田恒次社長がコスモスポーツ・プロトタイプで会場に乗り付けたのは劇的デビューでした。

L402A企画デザイン探索時期。左のクーぺ案を採用。右はイタリアンですね。

1965年1月には60台の試作車を国内販売店に配り、社員が60万kmを走行し、性能と信頼性を確認しています。

英MOTORにコスモスポーツの記事を書けたのは、非常な喜びでした。

英MOTOR誌に紹介すべく、広島へ夜行。まず、烏田祥三RE研究部調査課長の面接がありました。1959年NSU発表時冊子、そして61年米自技会フレーデ博士論文予習のおかげで、取材と宇品工場海側の広い完成車置き場での試乗許可をいただきました。

宇品工場のコスモ手押しライン。ボデイプレス品質優れていました。

NSUスパイダーのスッポン(エンスト噛みつき、オーバーレヴ程嗜癖)に対し、コスモスポーツのドライバビリティはお月様、比類なき滑らかさとフィーリングを超えたセンセーションでした。当時の日本車、気筒数に関わらず音振は相当ひどいものだったのです。畏友ポール・フレールは、「素晴らしいMTを作れるのに、なぜなのだ?」

シャシーは前ダブルウイッシュボーン、後板バネとドディオンアクスル、ノンパワーのラック&ピニオン、前ディスク、後ドラムブレーキは充実材料で、いい仕立をしていました。