その兆候は、1977年。ロンドン・シドニー・ラリーで勝ち、本格的なWRC挑戦の1979年東アフリカ・サファリで爆発した。が、ダットサンの前に敗退。サッと手を引いたのである。勝てない体勢では参加しない。「メルセデスは出る以上、絶対勝たなければならない」のが鉄則だ。ゲルマン魂なのだ。が、軽量のW201がラリーに登場すれば、巨星メルセデスは名実ともに「世界最強マシン」の座に蘇る可能性がある。
速度記録にしてもしかり。ガルウイングのC111-3はディーゼルターボの実験車で322km/hの記録を持つ。続いて4号がV8ターボに挑戦して403km/hを樹立した。
メルセデスの速度記録挑戦はスピードのみの追及ではない。新しいマテリアム開発の結果に過ぎないのだ。C111はあらゆるエンジンでの可能性の実験だった。次はエタノールエンジンや電気自動車の記録を狙うかもしれない。ポスト・ガソリン車の近未来メカに意欲的だからだ。
巨星は今、立ち上がろうとしている。スピードを求めて・・・。チューンドカーもこのスピリッツに負けてはいられない。メルセデスをぶち抜け!
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1955年のル・マン大事故からのレース撤退後、ラリーから再開するまでのメルセデスのゲルマン魂を覗いてみました。次回は、メルセデスが挑戦した速度記録、そしてAMGの世界をみてようと思います。
[OPTION 1982年7月号より]
(Play Back The OPTION by 永光やすの)