■ザウバー・ホンダ2018年に誕生!
かねてから噂のあった、ホンダとザウバー。ロシアGPでついに、ホンダがザウバーへ2018年からパワーユニットを供給することを正式に発表しました。
私達日本のF1ファンにとって、ホンダのパワーユニットを積んだマシンが増えることはとっても嬉しいのですが、苦戦中のホンダ。果たしてこのままエンジン供給をしても大丈夫なのか心配になるところですが、F1界からは期待を寄せる声が届いています。
「これでホンダの開発スピードは間違いなく上がるだろうから、来年以降が楽しみだ。」(バーニー・エクレストン)
「F1界にとって非常に喜ばしい決定だ。いまは苦しんでいるホンダだが、彼らはきっと復活してくるよ。」(FIA会長ジャン・トッド)
そして、なぜザウバーはフェラーリからホンダへパワーユニットを変更するのか、ザウバーのモニシャ・カルテボーン代表は次のように語っています。
「皆さんは『フェラーリを捨てて、なぜホンダを選んだのか?』と聞くでしょうが、かつてフェラーリも同じように苦戦していた時期がありました。来年までまだ十分に時間はあります。」
「ホンダとのパートナーシップは、ザウバーが新しく生まれ変わろうとしている最も明らな証です。」
すでにザウバーの首脳陣はHRD Sakuraを訪問しているのだそう。今シーズン4戦が終わったばかりで来シーズンのことはまだまだ想像できませんが、ザウバー・ホンダの誕生で日本でF1がもっと盛り上がってくれることを期待したいですね!
■once upon a grand prix Legend of Greatest Racers
歴代のドライバーを振り返る「once upon a grand prix Legend of Greatest Racers」。今回は1982年ワールドチャンピオン、ケケ・ロズベルグ特集です。
ケケがワールドチャンピオンを獲得した1982年(ウィリアムズ在籍)、全16戦で競われたシーズンは、優勝者が11人に分散し、3勝以上するドライバーは皆無という大混戦! そんな中、ケケは1勝のみでチャンピオンを獲得しました。ちなみに、1勝のみでチャンピオンになったのは、1958年のマイク・ホーソーン以来の出来事なのだそう。
チャンピオンを獲得した翌年、ウィリアムズはエンジンをホンダV6ターボに替え、ケケは1984年ダラスでホンダ第2期初の勝利をもたらします。
「完走たった8台、コースを踏み外す車が続出する中、2時間オーバーの熱戦を制した要因はエンジン云々よりもケケの腕によるところが大きかった。」と本誌は分析。
ウィリアムズ・ホンダで走ったのは1983年〜1985年。ケケが日本に関わりがあったとは、なんだか嬉しいですよね。
皆さんご存知の通り、ケケは昨シーズンワールドチャンピオンを獲得しその後電撃引退をしたニコ・ロズベルグのお父様。親子2代の世界一はヒル親子(グラハムとデイモン)に次いで2例目となります。
顔もどことなく似ている2人ですが(デビュー当時のニコの髪型はケケと瓜二つ!?)、ドライビングスタイルや私生活はどうだったのでしょうか。チェックしてみましょう!
まずはドライビングスタイル。当時、燃料食いのターボは燃費走行を強いることとなり、テレメトリーシステムはまだ不十分で油断するとガス欠に陥ったのだそう。1986年マクラーレン・TAGへ移籍したケケ。チームメイトのアラン・プロストが上手に対処したのに対し、ひたすら全開を好むケケは我慢を強いられ、王座争いにも加わることさえできなかったそうです。
気になる私生活はというと、ケケは誰もが認めるヘビースモーカーで、コブラを乗り回すチョイ悪ぶり。他のエリートF1レギュラーたちとは異なる行動をとっていたのだとか!
ドライビングスタイルもパドックでの様子も、超真面目なニコとは正反対!! 時代は違えど、ここまで違うとは驚きです。どちらかというと、ニコの最強のライバルだったルイス・ハミルトン選手よりでしょうか。
F1ドライバー大好きな私としては、ドライバーのお父さんがどのような人だったのかも気になるところ。「once upon a grand prix Legend of Greatest Racers」を読むと、その人物について、そして当時のF1についても知ることができて、まるでタイムスリップした気分になりますよ。
「F1速報ロシアGP号」は、過去のF1から最新のF1事情、そして気になるチーム情報や独占インタビュー(今号はストフェル・バンドーン選手が登場)と、読み応えたっぷりな一冊です!!
(yuri)