戦前、多摩川の河川敷に日本最初のサーキット「多摩川スピードウェイ」がありました。
丸子橋の上流、川崎側に作られた全長1.2km、コース幅20mのオーバルコースで、1936年から全国自動車競走大会が開催され、初開催時には1万人を超える観衆も集めたそうです。
このとき、若き本田宗一郎兄弟が出場を果たしています。しかし、その後燃料事情の悪化などもあり、3年・4回で開催が休止します。
終戦後は大きなイベントは開催される事もなく、騒音問題などで廃止となりました。
現在、コース跡は川崎市の硬式野球場として利用されていますが、グランドスタンド跡は現在も堤防の一部として現存しています。
そのグランドスタンド跡に、スピードウェイ開設80周年を記念してプレートが設置されました。