明けましておめでとうございます。
今回のF2Pは、超小型移動はムカシから考えられ、自動車メーカー、発明家がやってきたことの数例を取りあげます。
グーグル自動運転車が話題になっていますが、イギリスのシンクレア、アメリカのカーメン(セグウエイ)など、他の先進分野で成功、財をなした天才たちが、移動手段をやるのは興味ある現象です。
●シンクレアC5
30年前、東京晴海通りと昭和通りの交差点、歌舞伎座隣のビルの1階イギリス・デザイン展示場で見たのがシンクレアC5でした。ひとり乗りペダル駆動・電動アシストの前1輪の3輪オープン車で、憧れであったレーシングカーのようなリクライニング姿勢で乗るのです。あまりにカッコよく奇妙なので、数度通いました。
手頃な値段のパソコン発明者として功と財を成し、騎士称号を受勲した サー・クライヴ・シンクレアが法改正により免許必要なしで運転できるようになった簡便車として開発し、1985年1月生産販売開始したクルマがC5です。1万4千台生産したのですが、同年8月までの生産中止までに売れたのは5千台とか。商業的失敗の代表例になっていますが、いまコレクターの間で新車当時の10倍以上の値段がついているそうです。車体設計がロータスとは、まさに現在のテスラの先を行っていました。
●IBOT
パーソナル・モービリティとして垂涎の的が米DEKA社 IBOTです。天才発明家・技術者のディーン・カーメンが、彼を一躍有名にした2輪セグウエイ以前に考案し、共同設立した会社DEKAで2009年まで製作販売しました。
4輪+前補助2輪で階段の上り下り、不整地形を走ります。カーメンは立ち姿勢の健常者と同じ目線で対話することが大切といいます。
●BMWイセッタ
1950年代末の日本は、まだ自動車不自由時期でした。私の仕事の移動を助けてくれたのが戦後のBMWの復興収入源のひとつ、イセッタでした。
58、59年の浅間2輪レース活動の足でした。1959年大阪国際見本市出展車で往復したように、当時の非舗装大半の道路でも快適、経済的に走ってくれました。クルマ前面の1枚ドアは、他のドイツ車、そして1960年代には GMもコンセプトで試みました。当時はもちろん衝突保護要件以前でした。
●GM EN-V
セグウエイと前面乗り降り型を足したハイテク・モービリティ車がGMのEN-Vで、2010年上海EXPOで数種デザインと台数が走り回りました。
GMは、2014年から天津エコシティ地区で実用実験を発表しましたが、どうなっていますやら。デトロイトの自動車技術会議のGM展示場内で同乗体験しました。
発進前に補助輪を上げ、車体を前後に動かして、2輪のバランスをとります。そこから一気に加速、展示物の間を縫って敏捷に走る様に唖然としたものです。
●トヨタEX-2A
1970年代、トヨタのグループ7レース活動中止後、河野二郎第7研究部長は、実験安全車と複数のモーターショー・コンセプトカーの開発を指揮しました。河野さんの2台のパーソナル・モービリティのひとつがこイセッタ型前ドアの2座車EX-2Aでした。他は、インホイールモーター前1輪が90度操舵し、全長以内で旋回するEVです。
(山口京一)