先行:唄和也(ばいかずや)・大阪府出身。後追い:内海彰乃(うつみあきのり)・兵庫県出身。以前から関西のドリフターのあいだでは、ドリフトを見ていたひとに「普通やな」といわれるのが最大の屈辱といわれてきました。しょぼい走りをしてなにごともなく終わるくらいなら、行き過ぎてクラッシュしたほうがマシというひともいました。
もっとも、昔のドリフト野郎は少なからずそういう面を持ち合わせていました。「スピード」「ラップタイム」という定量的な尺度を持たなかったドリフトでは、ひとをあっといわせた者が勝ちという風潮がありました。たとえクラッシュしても、その前の勢いでひとを驚かせることができれば称賛されたのです。
とはいえ、2001年からシリーズ戦がはじまり、この6月末に行われた2015年第3戦で、通算100回目の大会を開催したD1GPにおいては、ドリフトは純然たるモータースポーツとして確立されました。
モータースポーツでは、整理された基準によって走りが審査、採点され、成績が決まります。あっといわせる走りは基本的に高得点がつきますが、失敗したら減点されます。それに、ぶつかればお金がかかります。しだいに無茶な走りをするドライバーはいなくなり、安全で堅実な走りが増えました。
しかし、心の奥底では、ドリフト野郎だったらアクセルをゆるめたくないと思っているのでしょう。あるいは、曲がれると信じてアクセルを踏み続けたい状況があるでしょう。唄選手と内海選手はこのときクラッシュパッドを吹っ飛ばしながらも、ドリフトを続けたのです。
唄選手が飛び出しそうになるのを見て、自分はドリフトを止める気はなかったのかと内海選手に聞いてみたところ「ぜんぜん! なんなら唄クンを押し出してやるくらいの気持ちで踏んでいきました」と内海選手は即答。
このふたり、歳も近く、昔からライバル関係にあるんですね。相手がアクセルを緩めてないのに、自分が緩めるわけにいかなかったんでしょう。
その前の走行で内海選手も少しコースからはみ出して減点をされていたため、けっきょく2本の走行の判定はイーブン。先行時の機械審査の得点で唄選手が上まわり、唄選手の勝ちとなりました。
ちなみに、この区間は「振り返し区間」だったので、クラッシュによる姿勢の乱れは機械審査の減点にはならず、アクセルを踏み続けて駆け抜けたので、唄選手の走行は、大きな減点にはならなかったんですね。さすがに内海選手はちょっと不満そうで、唄選手も申し訳なさそうでしたが。
ドリフトはこのような感動と笑いが共存できるのが魅力ということを再確認した出来事でした。たぶん、この勝負を見て嫉妬した選手は多かったでしょう。
なお、この大会の優勝はTeam TOYO TIRES DRIFT TRUST RACINGの川畑選手でした。
(右が優勝した川畑選手。左は川畑選手との対戦でベスト追走賞を受賞した唄選手)
この大会の模様は、「ビデオオプション vol.257」(7月25日発売)に収録されます。D1GPの詳しい情報は、D1公式サイトで!(www.d1gp.co.jp)
※写真提供:サンプロス(撮影:鈴木紳平)
(まめ蔵)