自動車業界全体に影響を与えた故・徳大寺有恒さんを偲ぶお別れの会

2014年2月9日、「故徳大寺有恒氏お別れの会」が紀尾井町のホテル ニューオータニ・鳳凰の間でしめやかに行われました。

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徳大寺有恒さんは説明する必要も無いほど雑誌、書籍からWEBに至るまで、自動車メディア全般に、いや自動車業界そのものに大きな影響を与えました。名著「間違いだらけのクルマ選び」があったからこそ、日本の自動車は国際競争力をつけたといっても過言ではありません。

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この日の会場では、本当に非常に多くの方が列席され、献花をなされました。献花というところも徳大寺さんらしい感じがします。

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また、供えられたお花も内外の自動車メーカーの経営陣からという、徳大寺さんの人柄とつながりの強さを感じるものでした。

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ご愛用の逸品も飾られます。ミニカーや自動車関連のものは言うに及ばず、喫煙具と筆記具にも大きなこだわりを感じます。またネクタイは全てクルマの柄というお洒落ぶりも垣間見ることが出来ます。

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壇上で徳大寺さんのご夫人から列席者にご挨拶があり、その後、特に徳大寺さんとつながりの深かった方々のスピーチが続きます。

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徳大寺さんが日本のレース黎明期にトヨタのワークスドライバーだったことを生で知るレーサーで自動車評論家の津々見友彦さんは「当時は僕が二輪で、徳大寺さんが四輪のレーサー。四輪のことを一生懸命教えてもらった」と語られ、そして作家の北方謙三さんは一人の男の友人として「男の生き様を語り合った。とにかくわがままだった」と熱く語っていらっしゃいました。

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徳大寺有恒さんという巨星が旅立たれてしまったことは悲しい出来事ではありますが、その徳大寺さんがペンの力で育て上げた自動車業界をもっともっと良い方向に向けていくことこそ、これからの自動車メディアの使命ではないかと考えます。

(松永和浩)

この記事の著者

松永 和浩 近影

松永 和浩

1966年丙午生まれ。東京都出身。大学では教育学部なのに電機関連会社で電気工事の現場監督や電気自動車用充電インフラの開発などを担当する会社員から紆余曲折を経て、自動車メディアでライターやフォトグラファーとして活動することになって現在に至ります。
3年に2台のペースで中古車を買い替える中古車マニア。中古車をいかに安く手に入れ、手間をかけずに長く乗るかということばかり考えています。
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