数々の伝説、歴代「スカイラインGT-R」は男の美学!

今でこそ「GT-R」は、日産GT-Rとして車名化していますが、もとはスカイラインのグレード呼称にすぎませんでした。日本専売に近い「スカイラインGT-R」は、市販車として世界的には無名に近いはずでしたが、不思議なことに、世界中のクルマ好きにとって、「スカイラインGT-R」は非常に有名なブランドでした。

その秘密は、ゲームソフト「グランツーリスモ」にあったと聞き及んでいます。世界中のクルマ好きが、ゲームで「スカイラインGT-R」を知り、走りを楽しみ、その強烈な実力と個性に憧れていたというのですから素晴らしい! まさしく伝説的なエピーソードですが、思い起こせば歴代スカイラインGT-Rは、数々の伝説に彩られてきました。そこでここでは、その伝説の歴史を振り返ってみたいと思います。

■S54B「羊の皮を被った狼」(1965~1968)

スカイラインGT-Rを語る上で忘れてはいけないのが、プリンス・スカイラインGT(GT-B)です。レースで勝つために、フロントをぶった切って、ウェーバーの3連キャブレターで武装した直6エンジンを搭載。レースでは、ロングノーズのプリンススカイラインが、一時でもレーシング・ポルシェを抜いてトップを快走したという伝説を残しました。「羊の皮を被った狼」というフレーズの通り、「R」バッチは付いていませんが、まさに戦うために生まれたクルマだったのです。

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■初代/GC10「ハコスカGT-R」(1969~1973)

初代となるハコスカGT-Rの「R」たる由縁は、「日産R380」のS20エンジンをハコスカに移植したことにあります。「R380」は当時7つの国際スピード記録を樹立したのレーシングカーですから、一般走行向けにディチューンしたとはいえ、よくぞその心臓を市販車に搭載してくれたと思います。2ドアハードトップのリア・オーバーフェンダーも、ハコスカの男らしさを際立たせてカッコ良かった!  しかもレースでは、天下無敵の連勝街道を突き進み、50連勝という黄金伝説を残しました。

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■2代目/KPC110「ケンメリGT-R」(1973)

生産台数からして既に伝説なのが、ケンメリGT-Rです。S20が排ガス規制をクリアできなかったため、販売期間はたったの4ヶ月間で終了。僅か197台しか生産されませんでした。ベースのケンメリ・ハードトップはハンサムルックですが、GT-R化に伴いブラック調グリルやオーバーフェンダー、リアスポイラーを装着。迫力のあるスタイルを実現していました。しかしながら、ケンメリGT-Rの生産終了でS20の血統も途絶え、その後16年もの間、沈黙を余儀なくされたのです。

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■3代目/BNR32「復活、ハイテクGT-R」(1989~1994)

スカイラインGT-Rが復活したのは、NSXやロードスター、セルシオ等が登場した1989年。今見ても、同期は凄いクルマばかりですネ。中でもR32GT-Rは、レース用に開発された直6の名機・RB26DETTとFRベースの画期的な可変4WDシステム・アテーサE-TS、更には4輪操舵のスーパーハイキャスを搭載。ハイテクメカで武装して、まさしく異次元の走行性能を実現しました。更にレースでも、ブルーのカルソニックGT-Rを筆頭に、常識はずれのパフォーマンスを発揮しました。

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■4代目/BCNR33「マイナス21秒のロマン」(1995~1998)

R33GT-Rのイメージを一言で言うと「ジェントル」。速さと広さを両立させた、大人の落ち着きを感じるクルマでした。居住性改善のためにホイールベースを約100mm延長した結果、小回りは効きにくくなる反面、高速安定性が向上。走りでも「マイナス21秒のロマン」と称して、ニュルでR32GT-Rよりも21秒も短縮し、8分を切るラップタイムを実現。同門対決の伝説は、本場ニュルが舞台だったのです。

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■5代目/BNR34「史上最強のスカイラインGT-R」(1999~2002)

スカイラインGT-R史上、最強と評されるのが、R34GT-Rです。R33よりもホイールベースを約50mm縮めて、ハンドリングを向上。更に、強化されたボディと熟成されたメカは高い完成度を誇り、チューン志向のオーナーから絶大な支持を受けました。なにしろコンピューターとマフラー交換等のライトチューンで400~500馬力、本格チューンなら1000馬力を絞り出すポテンシャルを備えていたのですから凄まじい。ハイブリッド全盛の現在では、これも伝説的な武勇伝になってきたと思います。

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R34GT-Rの生産終了をもって、日本のスカイラインGT-Rは、グローバルカーに生まれ変わった日産GT-Rにバトンを渡しました。思い起こせば、歴代スカイラインGT-Rを支えていたのは、開発陣やレース陣やオーナーやチューナーの「雑草魂」であり「大和魂」であり「男の美学」だったように思えます。そしてスカイラインGT-Rは、「日本人の日本人による日本人のためのハイパフォーマンスカー」だったのだと、あらためて実感した次第です。

(拓波幸としひろ)

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