2014年NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」ゆかりの地、福岡に行ってみませんか?

福岡という町がどこにあるかご存知でしょうか?

とんこつラーメンやもつ鍋が美味しくて、夜の町中州でお父さんがはしゃいだり、お土産に明太子を買って帰る北部九州の大都市が福岡です。けれど、実は福岡という町名は岡山県にあるんです。

これは偶然ではなく、福岡のネーミングは江戸時代の福岡の町づくりを行った藩主、黒田長政公の黒田家発祥の地といわれる岡山県瀬戸内市長船町福岡がその由来とされます。明治時代に市の名前を博多市にするか福岡市にするか住民投票を行ったら、1票差で福岡になったというホントかどうか博多っ子が話をオモシロくしたんではないかと思えるエピソードは福岡出身の私も知っていましたが、岡山県の住所までは知りませんでした。

その黒田長政の父である黒田官兵衛が来年1月より始まるNHK大河ドラマとしてオンエアされます。

主人公に岡田准一さんが起用された黒田官兵衛は、

1546(天文15)年、生~1604(慶長9)年、没

播磨国(兵庫県)姫路城主の長男として生まれる。先祖は近江国(滋賀県)の武士出身で流浪の末に、祖父の代に姫路に辿り着いた。父・職隆は地元の豪族・小寺氏に仕官し家老として重用されていた。22歳にして、結婚と同時に家督を継ぎ小寺家家老の座に着く。織田信長の将来性をいち早く見抜き、羽柴秀吉には弟同然と呼ばれるほどに信頼される。主君・小寺政職が織田家を裏切った際には、説得しようとして罠に落ち、1年以上、牢に幽閉される。出獄後は小寺家と縁を切り、秀吉の軍師となる。本能寺の変を真っ先に知り、「中国大返し」を実現、秀吉の天下取りを演出する。天下統一が近づく中、秀吉から「次の天下を狙う男」として警戒されていることを知るや44歳の若さで家督を息子・長政に譲り、あっさり隠居する。その後は、剃髪し如水と名乗るようになる。関ヶ原の戦いの際には、領地である豊前国(大分県)中津にあって、牢人兵を率い九州を席巻、最後の大勝負に出るが、長政の活躍で関ヶ原が半日で大勢が決し、天下取りは夢に終わる。戦の後は全ての恩賞を断り、長政に与えられた筑前国(福岡県)福岡で静かな余生を送り、59歳の生涯を閉じる。

と、九州や福岡県と非常に縁が深いのです。晩年は太宰府天満宮で過ごしたそうです。

そこで、黒田官兵衛が余生を過ごした地である福岡県は、官兵衛ゆかりの地が多数あり、ツウな人ほど知る晩年の官兵衛について触れることで、福岡県との関連を再認識してもらうキャンペーンを始めています。

そんな黒田官兵衛のキャラクターとして、「ふくおか官兵衛くん」が登場!

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このキャンペーンを体験してもらうことで、官兵衛のクライマックスを知ってもらい大河ドラマをより一層楽しんでもらえるような、ツウな楽しみ方を提案してくれるとのこと。

キャンペーンサイトでは、 「福岡県クイズキャンペーン【黒田官兵衛からの挑戦状】」として12月1日からスタート。クイズを解いていくうちに黒田官兵衛の魅力と福岡県とのつながりが明確になって、大河ドラマも楽しめて、思わず福岡に行きたくなっちゃうはずです。

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また、福岡県のゆるキャラ「エコトン」もtwitterで広報活動を行っています。

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大河ドラマを楽しんで、ゆかりの地としての福岡をぜひ訪れてみたいです。

■キャンペーンサイト
 http://fukuokakanbe.jp/

■エコトンのTwitter
 https://twitter.com/fukuoka_ecoton

(小林和久)

この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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