大藪春彦、藤島泰輔、田中光二・・・著名作家とのお付き合い

〈MondayTalk星島浩/自伝的爺ぃの独り言31〉 私には親しくいていただいた作家が3名いらっしゃる。

 ハードボイルド作家・大藪春彦さんは、田中健二郎(悪友につき敬称略)と一緒にお会いした。「レースについて書きたいので話を聞かせてほしい」と、出版社の方に紹介されたのが最初だ。

  田中健二郎はオートレース出身で「健二郎の前に健二郎なく、健二郎の後に健二郎なし」と謳われ、ホンダに移ってGPロードレースで活躍。欧州転戦中の転倒事故で片足が不自由になり、引退。ほどなく4輪スポーツに転じ、日産ワークスで数々のレースに名を残したほか、滝レーシングでも参戦した。バイク時代からウマが合い、人前では「さん」付けしたが、平素は「ケンジロー」「ホシ」と呼び捨ての間柄で、公私に亘る? 仲良し。ゴルフ遊びや各地の講習会も、よく一緒に招かれた。

 ややあって大藪さんからの電話で「申し訳ない、つい、うっかり登場人物のアンタを実名で書いてしまった。連載なので2回目以降も代えようがないんだョ」と。当方は「せめて悪者にしないで頂戴」とお願いするほかない。そう言えば、大藪さんの小説には、私をモデルにしたと思しき記者やカメラマンがちょいちょい現れる。

 むろん、その後も親しく交流。レース観戦やチーム・マグナム活動のお供のほか、夜遊びも。長旅は北海道十勝の奧まで鹿撃ちに同行。林道脇に未開発の温泉が湧いてたっけ。

  痔を病んでいるとかで、長い距離はたいがい私が運転手を務め、現オートサロンの前身ショーに大会会長をお願いしたこともある。お宅を訪ねたのは1回だけだが、数々の銃や所狭しと飾られた獲物のトロフィーが不気味だった。

 忘れられないのは藤島泰輔さんだ。皇太子(現天皇)のご学友で知られ、モーターファン・カーオブザイヤーの選考をお願いしたほか、新型車試乗印象を書いてもらったり、語っていただいたりした。

 テレビ局にいた、わがカミさんが仕事で藤島さんにお会いするなど、勝手に親近感を覚えていたら、ご自身は自動車記事をよく読んでいらして、ジャーナリストを超える知識をお持ちだけに、言葉を交わすたび緊張した。芸能界にお詳しいのも当然。奥方がジャニーズ事務所のメリー喜多川さんだ。

 恐縮というより、怖かったのが文章評価。

 私の文章は「一種リズム感と独自の省略的表現」が特徴だと。

  絵とデザインを学んだだけで—-と応えたら「やはり他人の真似をしたくない資質が文章に表れるのかもしれないネ」と評され「案外、気が短いのかナ」とも。

  嬉しいとか誇らしいではなく、暫く、藤島さんの評価が気になり、専門誌以外でも筆が進まない時期があった。

 もうお一人はSF作家=田中光二さん—-ボートの五輪選手から太宰治に師事し、無頼派と呼ばれた作家=田中英光さんのご子息で、NHK教育番組のプロデューサーを経て、お父さんの跡を追われた。奥方は新劇俳優とお聞きした記憶がある。

 クルマ好きとあってモーターファン別冊「すべてシリーズ」で試乗と感想記をお願い。事前試乗でテストコースを走る企画には、快く前夜から参加してくださったもの。神戸昭男編集長と親しかった。

                                        

 自動車に詳しい上、多くの専門誌を愛読なさっていただけに、記事内容と執筆者の文章評価が怖かったのも思い出だ。 

「およそ数行読めば、誰が書いたか直ぐ分かる。山口京一氏の文章は華麗。福野礼一郎氏は個性的で、若いとき志していれば作家になれたかもしれない」と。私については藤島先生評「一種リズム感と省略的表現」を披露したら「まさしく、その通り」だと。三つ子の魂、百までと言うが、昨今は評価を気にすることもない。筆の赴くまま。枯れ果てる寸前だ。

 残念ながら和歌山ご転居後の田中光二さんとはお会いしていない。

 作家との交流には関係ないが、この際、記事に添えている挿画について書いておく。読んでくれている大阪の友人から質問があった。

 小学生が使う画用紙の半分に、チョコチョコっと描く手慰みの中から、なんとなくクルマに関係ありそうな作品を編集部に届ける。

 手慰みの条件は、定規やコンパスを用いないフリーハンドで、2色に限る。色を多く使うと「説明的」になるのがイヤなので—-。★