F1で日本人最高位を獲得した佐藤琢磨選手のF1時代を振り返る

フォーミュラ・ニッポンにスポット参戦が決まった佐藤琢磨選手。元F1ドライバーとしてあまりにも有名ですね。

写真は2005年のホンダ・モータースポーツ体制発表会の模様。右が佐藤琢磨選手。

2002年からジョーダンと契約、2003年はB・A・Rのサードドライバーとして移籍。この年の最終戦である日本GPで急遽参加を取りやめたジャック・ヴィルヌーブの代わりにF1マシンに乗り込むと、いきなり6位に入賞してしまいます。

2004年の佐藤琢磨選手は日本人初快挙を連発します。特に予選では強さを発揮3位が3回、そしてヨーロッパGPでは予選2位でフロントローに鎮座!そして決勝ではアメリカGPで日本人最高位タイの3位表彰台! B・A・Rホンダチームがこの年に獲得したコンストラクターポイント2位に大きく貢献しました。

2005年はB・A・Rのチーム体制が芳しくなく、チーム自体がモナコGPなど2戦を出場停止。ほとんどレースをできないままB・A・Rを去ります。

2006年からは鈴木亜久里率いるスーパー・アグリF1に移籍。実は鈴木亜久里氏は佐藤琢磨選手がアメリカGPで表彰台に登る以前に日本人で唯一の表彰台登壇者。1990年のことですから15年ぶりに記録が並んだのが佐藤琢磨選手だったのです。

スーパー・アグリF1もホンダのエンジンを搭載しながらも、当初は資金難からかなり戦闘力の低いマシンでの参戦を余儀なくされていましたが、それでもブラジルGPでは完走10位入るなどの実績を残しています。

そしてニューマシンとなった2007年はカナダGPで6位と好成績を残します。

2008年以降はスーパー・アグリF1がF1から撤退したこともあって、その後のシート確保に奔走していましたが、2010年からは舞台をアメリカに移してインディーカーシリーズに参戦することとなります。

F1時代の佐藤琢磨選手は一言で言えば本番に強い。いきなり乗せられたF1マシンで6位入賞など、チョット考えられないスーパーパフォーマンスを発揮しています。その上、性能が明らかに低いマシンでもコンスタントに走りぬき、結果的に上位に名を連ねるクレバーなセンスも兼ね備えていました。

そんな佐藤琢磨選手が久しぶりに日本に帰ってくる。フォーミュラーニッポンでそのドライビングを披露してくれるというのですから、これはかなり楽しみ。

(北森涼介)

この記事の著者

松永 和浩 近影

松永 和浩

1966年丙午生まれ。東京都出身。大学では教育学部なのに電機関連会社で電気工事の現場監督や電気自動車用充電インフラの開発などを担当する会社員から紆余曲折を経て、自動車メディアでライターやフォトグラファーとして活動することになって現在に至ります。
3年に2台のペースで中古車を買い替える中古車マニア。中古車をいかに安く手に入れ、手間をかけずに長く乗るかということばかり考えています。
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