90年代は、エンジンが2L以下でありながら、アメリカ志向や衝突安全対応などで車幅が53ナンバーになるクルマが増えた時代でした。そこでここでは「2L級」、つまり車幅が1700mm前後でエンジンが2000cc以下のクルマを取り上げたいと思います。
日産シルビアは、90年代にはS14、15とモデルチェンジしてきました。でも年を経る毎に、販売台数が急降下。そのためS15へのモデルチェンジの開発予算は、多くなかったそうです。
そんな中での開発テーマは、カッコよさ。「とにかくカッコよくしたかったのです!」という当時の開発責任者の歯切れの良いコメントが、今でも印象に残っています。このクルマ以降、開発者がそこまで言い切るクルマは出ていないんじゃないかしら。S14で3ナンバーに膨れたボディを、S15ではスタイリッシュで斬新な5ナンバーに引き戻した訳ですが、バブル崩壊の真っ只中では、市場の反応も鈍かったようです。
斬新といえば、三菱FTOも2000ccV6を搭載し、日本車初のマニュアルモード付きATを採用する意欲作でした。特にクーペデザインも、当時としては斬新なフェンダーラインを採用するなど、チャレンジに溢れたクルマでしたね。
また90年代はオープンカーが数多く登場した時代でもあります。180万円の価格帯で、2代目マツダロードスターとホンダCR−Xデルソル、トヨタMR−Sから選ぶことができました。しかもFRとFFとMRの揃い踏みだったのですから凄い!
ロードスターとCR−Xデルソルは、アメリカ市場を強く意識して企画されました。ロードスターは衝突安全性の向上を、CR−Xデルソルはアメリカでのスポーツカーへの高額な保険料を避けるために、オープンカーへ転換していったのです。
ロードスターが熟成型モデルチェンジだったのに対し、デルソルはトランクリッドが屋根を迎えに来る独自のトランストップ機構を採用して、個性を主張していました。ただ両車とも、残念ながら日本ではデザインテイストが合わず、あまり人気が出ませんでした。
トヨタMR−Sも、先代のターボありきのMR−2から、NA1800ccのオープンカーに大変身。安価で軽量コンパクトなミッドシップ・オープンカーですから、今見ると実にいいパッケージングですよね。ただ当時は、MR−2後継やロードスター対抗という立ち位置にありましたから、本来の良さが伝わらなかったかもしれません。
またオープンカーでは、バブルが崩壊しながらも、颯爽と登場した5ナンバースポーツカー「ホンダS2000」が1999年に登場しました。ホンダがS800以来、初めて手掛けたFRでした。ボディもエンジンもトランスミッションも専用品という、まるでバブル期のような超贅沢設計でした。エンジンは超高回転型でハンドリングもソリッド、乗り手を選ぶ本格派オープンスポーツカーであると評されていましたね。ホンダが創業50周年記念に、意地と度胸と技術の粋を結集して送り出した逸品といえるクルマでした。
90年代の2L級スポーツカーは、バブル崩壊で売れなくなっただけでなく、アメリカのスポーツカー保険料の高騰の影響でパワーやハンドリングまで封印されてしまいました。そこで、斬新なデザインやオープンカー化に新しい付加価値を見出だそうとしていたのですね。でもバブル崩壊の中、日本ではその価値を享受する余裕が残っていなかったのが、今更ながら残念無念・・・。
21世紀の現代もスポーツカーに厳しい時代ですが、マツダロードスターが孤軍奮闘する中、トヨタ・スバル合作のトヨタ86/BRZが満を持して登場してきますから、ワクワクドキドキしています!
(拓波幸としひろ)