〈MondayTalk星島浩/自伝的爺ぃの独り言32〉 アメリカをドライブ旅行すると、いろいろな出会いがあり、勉強させられることも少なくない。
走るのは、おおかたフリーウェイ——自動車専用路で、文字通り無料。出入り口も多く、至便だ。大都市に近い主要路は車線数も多いが、それでも通勤時間帯は通行量が多く、優先ラインを定めて複数名乗車を推奨している。
中には片側3車線ずつの中央分離ブロックを移し、4車線と2車線に分けて通行量に対応する例がある。専用特殊車がコンクリートブロックを移動させていく。見たのはワイキキに近いハワイだったが、ウィークデーに限るとしても毎日、朝夕実施するのは大変だろう。
巨費を投じた大きな橋や、カナダ寄り国境近くで、有料路線を走った記憶がある。料金は車軸数に応じて自動的に計算されていた。
訪米回数は多くない。それでも西海岸はポートランドから北寄りをニューヨークまで。東海岸はデイトナから南寄りをテキサス、ラスベガス経由でロサンゼルスまで横断。片道5日間かけて楽しんだ。
フリーウェイで印象的な出遭いは1960年代半ば。
インディアナ州を走っていたら、一天にわかな豪雨に見舞われ、ラジオが「竜巻発生、直ちに避難!」と放送したので、レストエリアに入ったところ、轟音が響いて雷が落ち始めた。コーヒーショップに急ぐべくドアを開けたら、隣の車から「外に出るな!」と大声で怒鳴られ、雷が収まったあたりで「車内が一番安全だ」と教わる。
たとえ直撃されても、雷はボディ外板を通って地面に抜ける。タイヤに痕跡が残っても室内は大丈夫」なのだと。その後、教育TVで行われた実験放送でご存じの方も多かろう。日本でゴルフ場に避雷用小型バスや小屋が設置されたのは、1970年以降だろう。
もう一つ、今も忘れないのが老婦人との出会い。
場所は憶えていないが、アメリカでは州によって税額が異なるので、タバコや酒類をまとめ買いすべく立ち寄ったスーパーマーケットだ。
年代物の1台がボロンボロンとやってくるや、店内から10歳くらいの少年が飛び出してきた。なるほど、クルマを降りたのは杖が頼りの老婦人である。彼女を支えるように少年が売り場に導く。
手押しカートにカゴを積んで買い物を手伝い、レジで支払いが終わるとクルマまで運んでトランクルームに収め、彼女からチップを頂戴する店公認? のアルバイトだ。ほかにも同業者? が1人いた。
光景を感心しながら見守っていたので、婦人から声をかけられ、暫く話を聞くハメになる——「どちらから?」と訊かれて「日本から来た」と応えると「亡くなった亭主が東京まで数回往復しているが、私には訪日機会がないまま、今は独り暮らしョ」から会話が始まった。
家はマーケットから10マイルちょっと、というから17、8㎞らしく、片道20分足らずの距離かと思ったら「私はクルマがビュンビュン走るフリーウェイは好まないので、一般道を片道1時間くらいかけてくる」と言う。そのほうが季節ごとの花を楽しめるし、顔見知りと立ち話したり、お茶をご馳走になることがあり、片道2時間かかるのも珍しくない」そうな。「だって、そうでしょ? もう私に急がねばならない理由は、なにも残っていないんだから——」と。
私が尋ねたのではない。ご本人が90歳と明かし、歩くのが不自由でも、こうやって運転できる間は、毎週買い物に通う。家でも毎日、誰かに声をかけてもらえるので、ちっとも寂しくないと微笑んでいた。
運転免許の更新は? なんてアホな質問したら「免許更新はないけど、保険料をきちんと収めないと事故が起こったとき困るから」と。交通量が少ない一般道をゆっくり走っていれば、事故に巻き込まれる心配は少ないし、後続車に追い上げられることもなさそう。
もっとも日本で老人用に「枯れ葉マーク」? が配られたり、70歳以上の免許更新に1日の運転講習が義務づけられたのは、その後だが。
翻って。私は本年3月に81歳と免許更新期を迎える。
半年も前に更新期限と高齢者講習義務が通知され「混んでいるから早めに予約するよう」但し書されていた。
ために講習会を受けたのは昨年11月下旬。まず最初に「免許返上意志はないか」と問われる。「茨城へ通うのに免許がないと困るので」と受講したが、3年前に比べると、まるで認知症テストではないかと思わせる講習内容が増えていた。むろん運転実技がある。
なんとか講習を終え、免許更新できそうだが、順調な老衰は、とっくに自覚。視力低下が著しく、特に動体視力に「問題あり」。次回は免許返上を考える必要があるかもしれない。
急ぐ理由はなにもない——老婦人の一言が今も私に突き刺さっているが、運転免許証がなくなると、やっぱり寂しいだろうなァ。90歳になっても、一般道でいい、トロトロ走って自由に移動したいもの。★