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■ハイソカーをけん引したマークII 3兄弟がモデルチェンジ
1984(昭和59)年8月22日、“マークII 3兄弟”が同時にモデルチェンジして、5代目「マークII」、3代目「チェイサー」、2代目「クレスタ」へ移行しました。
ハイソカーブームをけん引した70系3兄弟は、モデルチェンジ後の4年間で115万台という驚異的な販売台数を記録したのです。
●マークIIとマークII 3兄弟の誕生
マイカーブームが到来した1960年代後半になると、車には高級感が求められるようになり、トヨタはクラウンとコロナの中間に位置づけられる初代マークII「コロナマークII」を1968年にデビューさせました。
その後、2代目、3代目と市場の要望に応えるかたちで上級化が進み、1980年にデビューした4代目マークIIは、スタイリッシュなピラードレスハードトップとゴージャスな内装で若者から中年層まで魅了して、その後一世を風靡したハイソカーブームの火付け役となりました。
ちなみに、ハイソカーとは、ハイソサエティカー(和製英語)の略で、直訳すると“上流階級の車”の意味となり、アッパーミドルクラスのスポーティな高級セダンを指します。
一方で、マークIIのプラットフォームを流用した兄弟車のチェイサーが1977年、クレスタが1980年に登場し、ここにマークII 3兄弟が誕生したのです。
●ハイソカーブーム到来、3兄弟がブームをけん引
1984年のこの日、3兄弟が一斉にモデルチェンジして、5代目「マークII」、3代目「チェイサー」、2代目「クレスタ」へ移行しました。
3兄弟のそれぞれの特徴を一言で表せば、マークIIは落ち着いた雰囲気の高級セダンとハードトップ、チェイサーは高級感あふれるスポーツセダン、クレスタはスタイリッシュな高級パーソナルセダンです。
・5代目マークII
ハイソカーブームに火を付けたのは4代目ですが、空前の大ヒットとなったのは、車名のコロナマークIIからコロナが消えて、マークIIの単独ネームとなった5代目です。ボディタイプは、セダンと4ドアハードトップでしたが、人気が高かった4ドアハードトップは、大型のヘッドランプとフォグランプを組み込んだスポーティなフロントマスクでした。
エンジンは2.0L直6が中心で、SOHCとDOHC、さらにターボも装備され、国産初のツインターボ搭載のGTは、スポーツカー並みの性能を発揮。1985年の平均月販台数は、なんと1万2000台を超えたのです。
・3代目チェイサー
ボディは基本的にはマークIIと同じですが、3代目からはセダンがなくなり、4ドアハードトップ専用車になりました。
エンジン構成はマークIIと共通ですが、組み合わせが異なります。直4の2.0Lが主力、直6を主力とするマークIIとは性格を異にしました。
・2代目クレスタ
2代目クレスタは、全高の低いスタイリッシュなセダンとして人気を獲得。エンジンは2.0L直6 DOHCを搭載してパワーアップし、ツインターボエンジンを搭載した「GTツインターボ」も追加して、日産「スカイライン」に対抗した2代目の人気はさらに高まりました。
●爆発的な販売台数を残した3兄弟
1985年のマークIIの月販台数は1万2000台を越え、3兄弟の4年間の合計販売台数は115万台に至るという、今では考えられない数値です。その内訳は、おおよそマークII(50%)、クレスタ(30%)、チェイサー(20%)でした。
車両価格は3兄弟で大きな違いはありませんでしたが、5代目マークIIで人気の高かった最高出力160PS/最大トルク18.5kgmを発揮するグランデ・ツインカム24(2.0L直6 DOHC)が261.2万円、トップグレードの最高出力185PS/最大トルク24.0kgmを発揮する2000GTツインターボ(2.0L直6 DOHCツインターボ)が292.5万円に設定されていました。
2022年に最も売れた乗用車はトヨタ「ヤリス」で約16.9万台/年、1988年の5代目マークIIは約19.3万台でした。高価な高級セダンたちがこんなに売れるとは、今では到底考えられません。当時のバブル景気やハイソカーブームが、いかに凄かったかということを表していますね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)