ベース車「2000GT」100台限定、89.5万円のプリンス「スカイラインGT」が第2回日本グランプリで快挙。「スカG神話」始まる【今日は何の日?5月2日】

■スカイラインに直6エンジンを搭載した“羊の皮を被った狼”で雪辱を晴らす

レースのホモロゲーションのために1964年に100台販売されたスカイライン(2代目)2000GT
レースのホモロゲーションのために1964年に100台販売されたスカイライン(2代目)2000GT

1964(昭和39)年5月2日から2日間、第2回日本グランプリ(GP)が鈴鹿サーキットで開催されました。

前年に開催された第1回日本グランプリで惨敗を喫していたプリンス自動車は、「スカイライン」に「グロリア」の直6エンジンを搭載した「スカイラインGT」を投入し、最高峰クラスであったGT-IIクラス(排気量1000から2000cc)のレースに参戦。歴然とした出力性能差がある「ポルシェ904」をスタート後に追い詰めてゆく展開は、7週目に一時的ながら抜き去るという快挙を成し遂げ、ここから「スカG神話」が始まったのです。

いっぽうでスカイライン1500はツーリングカーのT5レース(排気量1300〜1600cc)では上位1〜8位を独占。直6エンジンのグロリアもツーリングカーT6レース(排気量1600〜2000cc)で1、2位、4位を占め、プリンス自動車は技術性能を見せしめ、前年への雪辱展開となりました。


●第1回日本グランプリでのスカイラインの惨敗

1962年にデビューしたスカイラインスポーツ
1962年にデビューしたスカイラインスポーツ

1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本GPで、初代スカイラインのスポーツモデルである「スカイラインスポーツ」と「スカイラインスーパー」で参戦したプリンス自動車は、見せ場なく惨敗します。レース前の “メーカーがチーム編成をしない、メーカーが改造に関与しない”という紳士協定を律儀に守り、完全な市販車でレースに臨んだことが敗因でした。

他のメーカーは、レース用にチューニングされたマシンを準備していたのです。スポーツカーIIレースで優勝した日産自動車の「フェアレディ1500」は、輸出量のSUツインキャブ仕様で足回りもチューニングされていました。当時まだ日産とプリンスは合併前の別のメーカーでもありました。

他のドライバーからも規定違反ではないかと、抗議が出て物議を醸しましたが、抗議は認められませんでした。例え、そんな理不尽なことがあったにせよ、レースの敗北は、飛行機づくり出身の誇り高い技術陣を主力とするプリンス自動車にとっては耐え難いものであり、プリンス自動車は翌年の第2回日本グランプリでの雪辱を果たすべく準備をスタートさせたのです。

●6気筒エンジンを搭載したスカイライン20000GT誕生

最強のマシンとして、スカイラインの開発責任者であった桜井眞一郎が考えたのは、2代目スカイラインに2代目グロリアの2.0L直6 SOHCエンジンを搭載することでした。時間がない中で急ピッチでの本格的な開発が始まったのです。

1963年にデビューした2代目スカイライン
1963年にデビューした2代目スカイライン

最大の難題は、もともと1.5Lの直4を搭載していたスカイラインには、そのままでは当然ながら直6が搭載できないこと。そのため、フェンダーを切断したエプロン部分にスペーサを溶接してホイールベースを延長、鼻先を200mm伸ばして6気筒エンジンが収まるようにしたのです。さらにエンジンチューニングによって、最高出力は150PS以上の最高出力を記録しました。

レース用のホモロゲーションを得るために必要となる台数、それは手作り生産の100台ともなり、89.5万円で売り出され、ここに「スカイライン2000GT」が誕生したのです。

●今も語り継がれるポルシェを抜き去った2000GTの伝説のレース

第2回日本GPのGT-IIクラスでの圧勝を目論んでいたスカイラインGTでしたが、予想外の強敵がエントリー。それは、式場壮吉が駆けるミッドシップスポーツカー「ポルシェ904」でした。最高出力が180PSのポルシェ904に対して、150PSのスカイラインGTでは到底勝ち目はありません。

ところが、生沢徹のスカイラインGTは必死に追いすがり、なんと7周目にはポルシェ904を抜き去り先頭に立つという快挙をやってのけたのです。最終的には、ポルシェ904の圧勝で終わりましたが、国産車が最高峰のポルシェを抜いたことに観客は熱狂し、今も伝説として語り継がれています。


1969年にデビューしたスカイライン(3代目)2000GT-R
1969年にデビューしたスカイライン(3代目)2000GT-R

この活躍によって市販化されたスカイライン2000GTは、“羊の皮を被った狼”という称号が与えられ、人気モデルへと駆け上ったのです。そして、その勢いのままに1969年には3代目スカイライン(ハコスカ)の「スカイラインGT-R」へと引き継がれ、今も憧れのクルマとして不動の地位を守り続けているのです。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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