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■ハイソカーブームに翻弄された7代目スカイライン
1985(昭和56)年8月19日、日産自動車から3代目“ハコスカ”、4代目“ケンメリ”、5代目“ジャパン”、6代目“ニューマン”に続いて、7代目“セブンス・スカイライン”がデビューしました。当時は、バブル景気の盛り上がりとともにハイソカーブームが日本市場を席巻しており、スカイラインも少なからず影響を受けました。
●ラグジュアリーセダンが飛ぶように売れたハイソカーブーム
バブル景気に火が付いた1980年代半ば、自動車ユーザーの上級志向が急速に高まり、2ドア・クーペのトヨタ「ソアラ」や4ドアハードトップの「マークII」、日産の「シーマ」などがけん引した“ハイソカー(ハイソサエティカー)”という和製英語が生まれ、アッパーミドルクラスのラグジュアリーセダンの大ブームが起こりました。
白い4ドアハードトップのスタイリッシュなデザイン、豪華なインテリア、ツインカムやターボを装備した高性能直6エンジンが定番で、マークII 3兄弟(マークII、チェイサー、クレスタ)は1984年~1988年の4年間で115万台という歴史的な販売を記録。また、バブル絶頂期の1988年に登場した日産の3ナンバー高級車「シーマ」は、500万円近い高級車でありながら4年間で13万台近く販売し、“シーマ現象”と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。
●ラグジュアーなスポーティセダンを目指した7代目
ハイソカーブームの真っただ中、7代目(R31)スカイラインは“都市工学スカイライン”のキャッチコピーで、セブンス・スカイラインと呼ばれました。
セブンスも、ハイソカーブームの影響を受け、スカイライン伝統のスポーティ路線からラグジュアリー路線を強調したハイソカー路線へ舵を切り、4ドアのハードトップとセダンでデビュー。4ドアハードトップの販売は、ハイソカーブームに乗って好調に滑り出しましたが、一方で2ドアがなかったため熱狂的なスカイラインファンには不評でした。これを受け、デビューから遅れること9ケ月後、1986年5月に急遽2ドアの「スポーツクーペGTS」を追加設定。搭載エンジンは、新開発の2.0L直6 DOHC 24Vとそのターボエンジンをメインに、多彩なエンジンラインナップも用意されました。
スカイライン伝統のスポーティさに、ハイソカーブームのラグジュアリーを融合させた7代目スカイライン。しかし、伝統のスカイラインの魅力が薄れて中途半端な印象に落ち入ってしまったのか、スカイラインの中では販売は低調でした。
●コンセプトには賛否があったが、ハイテク技術満載のセブンス
ラグジュアリー路線を強めたセブンスの評価は、必ずしも良いものではありませんでしたが、技術的にはハイテク満載のモデルでした。世界初の電子制御可変吸気コントロール(NICS)やハイテンションコードをなくしたダイレクトイグニッション(NDIS)を装備した新世代エンジン、量産初のプロジェクタライト、DOHCエンジン搭載モデルには電子制御4輪操舵システム(HICAS)などが採用されました。
HICASは、電子制御により後輪を同位相に微小角度変位させるシステムで、30km/h以上の車速および車両横Gに応じて後輪を最大0.5度までステアさせることで、高速コーナリング特性を安定化させる効果がありました。
セブンスの路線変更は、生粋のスカイラインファンからは不評で、往年のキャッチフレーズをもじって“牙を抜かれた狼”と揶揄されたそうです。名車ゆえに、評価も厳しいですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)