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■タブロイド紙「夕刊フジ」がスタート
1969(昭和44)年2月25日、日本初の駅売り専門の夕刊紙「夕刊フジ」が創刊されました。通常の新聞の半分の大きさのタブロイド判。サラリーマンを対象に一時は販売部数100万部を超えていましたが、最近は激減。代わって1996年に公式ウェブサイト「ZAKZAK」を開設しましたが、今では紙面よりこちらの方が人気ですね。
さて、2月25日に生まれたのは、俳優の寺脇康文、サッカーの中澤佑二、ゴルファーの松山英樹、作家の黒岩重吾、画家のルノワール、バイクレーサーのジョイ・ダンロップ、レーシングドライバーのフランソワ・セベールなどです。本日紹介するのは、ジョイ・ダンロップとフランソワ・セベールです。
●マン島TTレースの英雄、キング・オブ・ザ・ロードと称えられたジョイ・ダンロップが誕生
北アイルランドの英雄ジョイ・ダンロップは、1952年2月25日に北アイルランドのバリーマネーで生まれました。ダンロップの才能を見込んでサポートしたのは、ダンロップ家と親交のあった運送会社(レイ・トランスポート)で、ダンロップのためにレイ・レーシングを立ち上げたのでした。
初めてのマン島TT優勝は1977年ですが、以降合計6勝を挙げます。その他にもフルスタ―GPで24勝、ノースウェスト200で13勝、世界TT-F1選手権で5連勝を成し遂げ、「キング・オブ・ザ・ロード(公道レース王)」と称されました。ダンロップは長年ホンダのライダーとして活躍しましたが、1970年代のキャリア前期にはヤマハTZ750で優勝を飾り、その実績が評価されて、ホンダU.K.のエースとして活躍し、大スターとなったのです。残念ながら2000年、エストニアのレース中の事故でこの世を去りました。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
●たった一度の優勝で散ったフランスの二枚目ドライバーのフランソワ・セベール生まれる
フランソワ・セベールは、1944年2月25日にパリの裕福な宝石商の息子として生まれました。子供の頃、姉が紹介したジャン・ピエール・ベルトワーズ(F2チャンピオン)に会ったことでレースに興味を持ちます。1964年に父親の反対を押し切ってレーシングスクールに入学し、一時的に勘当状態に。1968年にフランスF3でチャンピオンを獲得、1969年にはF2に参戦して1勝を果たします。
活躍が認められて、1970年ティレルからF1デビュー、翌1971年にアメリカGPで初優勝を飾ります。これはモーリス・トランティニアン以来13年ぶりとなるフランス人のF1優勝であり、フランス人初のチャンピオン誕生の期待も膨らみました。ところが1973年のシーズン最終戦アメリカGPで、オーバースピードからガードレールに激突、フランスの若き英雄の未来はあっけなく奪われてしまいました。長身でハンサムな若者はフランスでは国民的な人気があり、その風貌と壮絶な最後から“フランスのジェームス・ディーン”と呼ばれました。ちなみに待ち望んだフランス初のF1チャンピオンは、1985年にアラン・プロストが達成しています。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)