■博士令が定められ、日本初の博士が誕生
1888(明治21)年5月7日、理学博士の菊池大麓や工学博士の山川健次郎など23名に、日本初の博士号が授与されました。前年に博士号を法・医・文・理・工の5つとする博士令が定められ、この日の授与となりました。
また1946年(昭和21)年のこの日、ソニーの前身にあたる「東京通信工業株式会社」が、盛田昭夫と井深大によって設立されました。テープレコーダーやトランジスタラジオなど、数々の日本初、世界初のヒット商品を生み出し、「世界のソニー」へと成長しました。2000年頃から低迷した時期がありましたが、最近はかつてのSONYブランドとは毛色の違うプレイステーションなど、ゲーム事業が活況で、ここ最近はアルファシリーズのミラーレス一眼カメラや、監視カメラ、スマホカメラ向けの撮像素子が絶好調ですね。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1976年(昭和51)年5月7日、ホンダが初代「アコード」を発表、翌8日から販売が始まりました。
アコードは、「シビック」よりワンクラス上のアッパーミドルとして開発。しかし、当時はCVCCエンジンの開発など排ガス規制(マスキー法)対応に追われて新規開発をする余裕がなかったため、基本的にはシビックベースで多くの部品が流用されました。丸目4灯のヘッドライトに大きなテールゲートをもつ3ドアハッチバックボディに、1.6L CVCCの4気筒OHCエンジンを搭載。このエンジンは、シビック用1.5Lをストロークアップしたものです。翌年1977年には、4ドアサルーンも追加されました。
アコードは、シビックにはない広い室内空間と荷室を特長として国内で人気を博し、世界戦略車として多くの国にも輸出されました。その後も長くホンダの中核モデルとして進化し続け、現在も継続して販売されているホンダの最長寿モデルです。
ホンダは、軽自動車「N360」の大ヒットの後、小型車シビックでも大成功を収めました。そして、アッパーミドルのファミリーカー市場に名乗りを上げたのが、このアコードでした。2輪に始まり、軽自動車の成功を基盤に着々と4輪メーカーとして飛躍する当時のホンダの姿が分かりやすいですね。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)