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■リーマンショックが引き金となって欧州事業が悪化
2011(平成23)年1月14日、ダイハツ工業(以下「ダイハツ」)は、2013年1月末で欧州市場の新車販売から撤退することを発表しました。
ダイハツはそれまで欧州10ヶ国に乗用車を輸出していましたが、2008年のリーマンショックと円高・ユーロ安の影響によって大幅に採算が悪化。このことが撤退の理由とされています。
●2000年以前は、ラリーで活躍したシャレードなどが欧州で人気を獲得
ダイハツは、1960年代から欧州市場に進出し、ドイツやフランスなど10ヶ国に多くの小型車の輸出を始めました。
日本でも人気だった「シャレード」は、1981年にWRCに参戦して遂げたグループ2カテゴリーの最小排気量クラスでの優勝や、1988年~1993年のサファリラリーでのクラス優勝などによって、ダイハツの名を欧州でも轟かせて、人気を獲得しました。
また軽の看板モデル「ミラ」は、欧州では1980年発売の初代から排気量を847cc、その後989ccに拡大して「クオーレ」の名で人気モデルに。その他にも、シャルマンの後継にあたる「アプローズ」、小型ハッチバック「ストーリア」、トヨタ「bB」をベースにした小型車「COO」、軽商用車の「ハイゼット」など、様々な小型車の投入によって実績を上げたのです。
2000年以降は小型車「シリオン(日本名:ブーン)」、マルチパーパス車「テリオス」、パワーアップした「コペン」などを販売していました。
●リーマンショックで欧州販売が急落
ダイハツの欧州での販売は、1991年には7.2万台を記録しましたが、その後は減少傾向が続き、2008年には5.8万台にとどまりました。さらに、2008年9月に起こったリーマンショックと円高・ユーロ安の影響で、2009年は3.6万台、2010年は販売車種を2車種に絞ったこともあり、一気に1.9万台まで激減しました。
この時点で海外販売における欧州販売の割合は、2007年の16.3%から2010年には5.3%まで低下。さらに欧州では、2014年からCO2を段階的に削減するCO2規制が始まったのです。
このような状況下では、例えコストをかけて規制に対応しても、日本からの完成車輸出ではとても採算がとれないことから、ダイハツは欧州の販売撤退を決断。ただし、新車販売終了後も部品供給や整備などのアフターサービスは継続して実施しています。
●欧州だけでなく、米国と中国市場から撤退
ダイハツは、米国でも1986年に米国の子会社ダイハツ・アメリカを設立し、シャレードを基幹モデルとして参入しましたが、現地のニーズに十分に応えることができず、2003年ダイハツ・アメリカは解散し、米国から撤退しました。
さらに世界最大の市場となった中国でも、2007年に自社ブランドでの小型車の販売を始めましたが、やはり事業は上手くいかずに2009年に販売を中止。2010年には、中国での合弁会社も解消し、事実上撤退しました。
以上のように、ダイハツの欧州、米国、中国市場での事業は、厳しい結果で終わっていましたが、現在はマレーシアとインドネシアを海外市場の重要拠点として販売を促進しています。
スズキも2012年に米国、その後中国からも事業撤退しました。軽自動車と小型車が主力のダイハツとスズキでは、比較的大きな車が好まれる欧米や中国市場で存在感を見せるのは難しいのかもしれません。軽が40%程度のシェアを持つ日本市場は、世界の中では特異な市場とも言えますね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)