■40年で様変わりした産業用ロボット
ヤマハ発動機の広報グループが発信しているニュースレター。今回のお題はロボティクス事業40年の歩みです。同社のロボティクス事業は、前身のIM(インテリジェントマシナリー)事業部の発足から数えて2024年で40周年の節目を迎えます。
草創期から産業用ロボットと向き合ってきたロボティクス事業部の村上一郎さんは、スカラロボットの進化と普及の歩みを「40年の時を経て、作業スピードは約3倍、価格は当時の3分の1ほどになりました。あの頃の自分がいまのスカラロボットを見たら、驚くでしょうね」と、スカラロボットの進化と普及の歩みを感慨深そうに振り返ったそうです。
スカラロボット(水平多関節ロボット)とは、複数の回転軸とアーム、先端部にZ軸を持つ産業用ロボット。ネジ締めやハンダ付け、搬送、積載、検査工程などの自動化に貢献し、用途や環境に合わせてさまざまなタイプの製品が展開されています。
たとえば、ヤマハ発動機の最新機種「YK-XEC」シリーズは、空気清浄度が極めて高いクリーンルームに向くモデル。ニーズが高まる半導体の製造工場や食品、医療機器、化粧品、関連工場まで、スカラロボットの活躍の場はますます広がっています。
同社のロボティクス事業は、1970年代の急激な増産に対応するため、二輪車工場の生産効率化を目指して開発された自社向けのロボットが起源です。自社の生産現場で性能や品質を磨きながら、現在のスカラロボットの原点となる「CAME YK7000」シリーズが1983年に開発され、その外販(BtoB)によって事業の第一歩を踏み出しています。
「最初は小さな所帯でしたが、ユニークな人材が顔を揃えていた印象です。カラクリ好きの先輩技術者たちが、時間を忘れて機械と向き合っていた姿が忘れられません。一方で、新たな事業はすべてが順風満帆だったわけではありません。毎月、歓迎会が開かれたかと思えば、一転、送別会ばかりでどんどん人がいなくなるという時期もありました」と、ロボティクス事業部の村上一郎さんは、波乱に満ちた船出の時代を振り返ります。
今回のニュースレターに登場した村上さんは、学生時代からのバイクファンで初代「SR400」に乗っていたそう。「オートバイの仕事をしたいと入社したのに、配属は産業用ロボットを扱うIM事業部。これも勉強のうちと思っていましたが、結局、産業用ロボット一筋で走り抜くことになりました」と苦笑い。それでも、ヤマハ発動機製品を導入した企業から笑顔で感謝いただく瞬間が大きな喜びと、仕事のやりがいを語っていたそうです。
ロボティクス事業が発展したプロセスには、いくつかの転機や節目があったそうです。1990年頃の磐田第5工場(現・磐田南工場)の完成もそのひとつ。エンジン組立などを行うこの工場には、自社製産業用ロボットがずらりと並び、その先進的な光景は、当時「東洋一の自動化設備」と大きな話題になりました。
また、2010年頃から始まった中国のものづくりの台頭もポイント。村上さんは「中国企業の導入から稼働までのスピード感に驚かされ、大きな刺激も受けました」と語っています。
「国際ロボット展」や「ジャパンモビリティショー2023」のヤマハ発動機ブースでは、AGV(無人搬送車)に搭載された7軸協働ロボットが大きな注目を集めたそうです。産業用ロボットはいま、新たな時代に突入しようとしています。2024年で40周年を迎えるヤマハ発動機のロボティクス事業の注目度は、ますます高まるはずです。
(塚田勝弘)