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■マスキー法が制定されるも、自動車業界の大反対で廃案状態に
1970(昭和45)年12月31日、米国で「大気浄化法改正法(通称、“マスキー法”)」が可決され、ニクソン大統領がこの法案に著名して制定が成立しました。
この法案による規制の驚異的な厳しさが、世界の自動車業界に大きな衝撃を与えましたが、最終的にはビッグ3など米国の大手自動車メーカーの大反対によって、1973年には実質的な廃案に追い込まれました。
●1950年代、米国では自動車の急増によって大気汚染が社会問題に
1908年に生産が始まり大ヒットした「T型フォード」が火付け役となり、米国では1930年頃からモータリゼーションが始まり、自動車の急増とともに1950年代には都市部で大気汚染の問題が顕在化し始めました。
特に自動車が多いロサンゼルスでは、光化学スモッグによる健康被害が多発。光化学スモッグとは、NOx(窒素酸化物)が日光を受けて光化学反応を起こし、有害な光化学オキシダントが大気中に浮遊する現象で、人の目を傷め、呼吸障害を引き起こします。
これを受けて、米国では1955年に「大気汚染法」、1963年には「大気浄化法」が制定されます。特に、大気汚染の発生源として自動車がやり玉に上げられるようになり、1965年に「自動車大気汚染制御法」によって排出ガスの規制値についての議論が始まりました。
●5年で90%以上の排ガス低減を強いるマスキー法は、実質的な廃案に
その後、具体的な街ガス規制値を規定したエドマンド・マスキー上院議員が提案した「大気浄化法」の改正案(マスキー法)が米国上下院で可決され、1970年の最終日12月31日、ニクソン大統領がこの法案に著名して制定が成立しました。
その内容は、1975年以降に製造される自動車のCO(一酸化炭素)およびHC(炭化水素)を、1970年~1971年基準から90%以上低減、1976年以降に製造される自動車から排出されるNOx(窒素酸化物)を、1970年〜1971年基準から90%以上低減するという非常に厳しいものでした。
この規制は、米国メーカーだけでなく世界の自動車業界に衝撃を与え、当然のことながら米国のビッグ3(GM、フォード、クライスラー)は実現困難と主張し、施行について紛糾。内容の修正が続き、結局1973年には骨抜き状態の実質的な廃案に追い込まれました。
メーカーの大反対に加え、1973年に起こったオイルショックによるエネルギー危機が、廃案の追い風になったのです。
●日本では、マスキー法以上に厳しい昭和53年規制が導入
日本では、1968年に「大気汚染防止法」が制定され、1972年にはマスキー法に準じた排ガス規制を行うことが決定。米国でマスキー法が廃案同然になった一方で、日本では公害防止を要求する声が大きくなり、厳しい規制が予定通り施行されたのです。
1973年に排ガス規制項目がCOだけでなくHCとNOxも加えられ、その後は段階的に強化されて1978年には世界で最も厳しいといわれた「1978(昭和53)年排出ガス規制」が施行されました。
世界で初めてマスキー法をクリアしたCVCCエンジン搭載のホンダ「シビック」に続いて、他の日本メーカーもすべて昭和53年規制に適合。これにより、日本車は世界一クリーンな車として評価され、日本車の国際的な地位が一気に向上しました。
マスキー法をめぐる排ガス規制と1973年に起こったオイルショックは、自動車業界に大きな変革をもたらしました。そのような中で、真摯に排ガス対応や燃費低減に取り組んだ日本の自動車メーカーは、排ガスと燃費技術で完全に欧米を追い越したのです。マスキー法とオイルショックが、日本車躍進のきっかけとなったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)