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■トヨタ初のトラック・G1トラックの発表会を開催
1935年(昭和10)年11月21日、トヨタ(当時は豊田自動織機製作所)が東京の東芝ガレージで「G1型トラック」の発表会を開催しました。
トヨタは乗用車の生産を目指していましたが、当時は戦時体制下であり、政府からトラック製作の強い要請を受けたため、トラックの開発を優先させたのです。
●トヨタの車づくりは豊田自動織機から始まった
トヨタのルーツは、1926年に豊田佐吉氏によって設立された豊田自動織機製作所です。自動車の将来性に注目した長男の豊田喜一郎氏は、1933年に自動織機内に自動車製作部門を設置し、「日本人の手で日本に合った日本人のための国産車を作る」という理念のもと、エンジンからボディまで完全オリジナルの乗用車の開発を目指しました。
1934年には、シボレーのエンジンを参考にしたA型エンジンの試作機が出来上がり、1935年5月にA型エンジンを搭載した試作車「乗用車A1型」が完成します。ところが当時は戦時体制下であり、政府が求めたのは軍事にも使えるトラックでした。
トヨタは、急遽トラックの生産を優先させ、同じA型エンジンを搭載した「G1型トラック」を約半年で完成させ、1935年の11月21日に発表したのです。
●政府からの強い要望を受けて半年で完成させたG1トラック
G1トラックは、先進的な流線形のスタイリングを採用した、積載量1500kgのボンネット型トラックでした。フレームは頑強なフォード式、フロントアクスルはエンジンとの関係からシボレー式、リアアクスルはフォード式を参考に設計されました。
搭載されたA型エンジンは、3.4L直6水冷OHVガソリンエンジンで、最高出力65PS/3000rpm・最大トルク19.4kgm/1800~2000rpmを発揮。トランスミッションは4速MTで、駆動方式はFRでした。
G1型トラックの試作車が完成したのは発表の半年前の5月であり、すぐに実車走行による耐久信頼試験を実施しましたが、多くの課題が浮上。発表会当日も、東京までの自走の間に途中の箱根越えで部品が破損するなどのトラブルが発生し、会場の東芝ガレージに到着したのは当日の午前4時という危うい発表会でした。
G1型トラックは発表前の1935年8月から3200円で販売を始めていましたが、不具合が多く、加えて生産体制や販売体制が不十分なため、最終的には総生産台数は379台にとどまりました。
ちなみに、当時の大卒の初任給は73円(現在は、23万円)程度、単純計算で現在の価値にすると約1000万円となります。
●続いてAA型乗用車、そして戦後にトヨペット・クラウンが誕生
1936年9月、東京府商工奨励館で開催された豊田大衆車完成記念展覧会に、G1型を改良した「GA型トラック」と、A1型試作車を改良した「AA型乗用車」も展示され、AA型乗用車の販売も開始。流線形のファストバック型の4ドアセダンで、エンジンはG1トラックにも搭載されたA型エンジンでした。
G1型トラックとAA型乗用車が発売された時点では、製作元はトヨタ自動織機製作所でしたが、1937年にトヨタ自動車が創立。
戦後は乗用車の開発に注力し、1955年に待望の日本初の完全オリジナルの本格乗用車「トヨペット・クラウン」を発売。その後、「コロナ」「パブリカ」「カローラ」と次々にヒット商品を生み出し、トヨタは自動車のトップメーカーへと躍進したのです。
G1型トラックもAA型乗用車も、最初はシボレーやフォードの部品を参考にしながらも、あくまでも自前の国産技術にこだわり、最終的には純国産技術で仕上げられました。これが、完全オリジナルの国産車トヨペッ・トクラウンに繋がったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)