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■リーマンショックが引き金になって北米市場で赤字化が加速
2012(平成24)年11月6日、スズキが北米の4輪車販売事業から撤退することを発表しました。リーマンショック後に円高ドル安が続く状況の中で、4輪車事業では採算確保が困難となったためで、その後北米では2輪車とATV(4輪バギー)、船外機の販売に注力することになりました。
●スズキの北米進出はGMとの提携から始まった
スズキの本格的な北米進出は、GMの支援を受けて1985年から始まりました。
スズキとGMの提携は、1970年代に起こったオイルショックと排ガス規制強化の影響で、燃費の良いコンパクトカーの必要性に迫られていたGMと、世界進出とりわけ米国進出を狙っていたスズキの思惑が一致したことによって締結に至ったのです。
GMとの提携の最初の成果は、小型車の共同開発で、1983年に国内で「カルタス」、北米では「シボレー・スプリント」として発売。カルタスは、国内で人気を獲得できませんでしたが、シボレー・スプリントは米国でヒットしました。
海外展開の先鋒に選ばれたのは、軽初の本格オフロード4WDとして誕生したジムニーでした。国内で人気を獲得した初代ジムニー(LJ10/LJ20型)が、まず1971年に「フルート」の車名で北米に輸出されました。
そして、1985年にASMC(アメリカン・スズキ・モーター)が設立され、1.3Lエンジンを搭載した「ジムニー1300(SJ413)」を、北米で「サムライ」の車名で販売。サムライは米国の若者からも人気を獲得し、北米でもヒットモデルになりました。
●リーマンショックでGMとの提携解消、スズキの販売も急減
北米進出を図った多くの国産メーカーは現地生産のために自社工場を設立していましたが、スズキもカナダにGMとの合弁工場「カミ・オートモーティブ」を設けて生産を開始。
その後もSUV「XL7」と「SX4」、ピックアップトラックの「イクエーター」、中型セダン「キザシ」などが投入され、徐々に北米での販売を増やしていきました。
ところが、以前から経営状況が良くなかったGMが2008年に発生したリーマンショックで経営が切迫し、スズキとの提携を解消。その後、スズキは日本から円高の影響を受けながらの完成車を輸出せざるを得なくなり、急速に競争力を失いました。
この結果、2011年の米国販売は2007年時の約1/4まで激減して赤字に転落。2012年に北米での四輪販売事業の撤退を英断したのです。
●米国に続いて世界最大市場の中国からも撤退
スズキは、2018年9月に中国の合弁生産会社「重慶長安鈴木汽車有限公司」のスズキ保有分の全株を、長安汽車に譲渡することで合意。これによりスズキは、2018年内に中国からも撤退することになりました。
現在中国では、中型車や大型車、特にセダンが人気であり、スズキが得意とする“安くて小さい車”の需要が低下しています。当時スズキの販売も落ち込み、合弁会社の現地生産も2010年頃から大幅減の状態に陥っていたのが、撤退の理由でした。
さらに、2019年から中国では「新エネルギー車規制」が導入されましたが、スズキにはハイブリッド車の生産をする準備が整っていなかったこともあり撤退の一因と考えられています。
世界一の中国市場、二位の米国市場から撤退することは、スズキにとって大きな決断ですが、インドなど別の市場で戦う覚悟、あるいは自信の表れかもしれません。
大型車が好きな米国人相手だけに、小型車が主力のスズキにとっては元々大きなハンディがあったように思われます。得意とする小型車で勝負できる市場に注力するためにも、北米と中国の撤退は避けられなかったのでしょう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)