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■3ナンバーボディにして高級感と高性能の向上を目指した7代目
1992(平成4)年10月29日、ハイソカーブームを牽引した5代目と6代目「マークII」に続いて、7代目が登場しました。
7代目は、それまでの直線基調から丸みを帯びたソフトなスタイルに変貌しましたが、爆発的な人気を誇ったマークIIにも人気に陰りが見え始めました。
●コロナの最上級モデルとして誕生した初代コロナマークII、2代目、3代目
コロナの最上級モデルとして、フルモデルチェンジの代わりに1968年に誕生したのが、「クラウン」と「コロナ」の中間層をターゲットにした初代マークIIの「コロナマークII」です。
基本的なスタイリングは、コロナを継承しながらも、一回り大きくして広い室内空間を持つアッパーミドルの車で、4ドアセダンと2ドアハードトップ、ワゴン、バンと多彩なバリエーションを用意。それに合わせて、1.6L&1.9L直4 SOHCの2つのエンジンも、グレードごとに細かい差別化が行われたのが特徴でした。
着実にシェアを伸ばしたコロナマークIIは、1972年に登場した2代目で大型化・上質化を果たし、1976年の3代目は、丸型ヘッドライトと独立したフロントグリルが特徴のヨーロピアンな雰囲気の高級セダンに変貌しました。
●ハイソカー時代をけん引した4代目、5代目、6代目
1980年に登場した4代目は、先代の柔らかい曲線を持つデザインから直線基調のデザインに変わり、主力がセダンからピラードハードトップに変更。マークII初のターボエンジンを搭載したグランデターボも登場し、兄弟車「チェイサー」と「クレスタ」が加わった「マークII 3兄弟」と呼ばれたモデルたちは、スポーティな高級セダン“ハイソカー”ブームの火付け役となりました。
1984年には5代目に移行、4代目まで付いていたコロナの冠が取れて、マークIIの単独ネームとなり、ハイソカーブームをけん引する大ヒットになりました。エンジンは、直6の2.0Lが中心で、SOHCとDOHC、さらにターボも加わり、注目されたのは、国産初のツインターボエンジン搭載のGTで、スポーツカー並みの性能を発揮しました。
1988年には6代目が登場、時代をリードするハイソカーの中心的存在として定着したマークII、6代目はバブル期と重なったバブリーなモデルで、バブルの勢いもあり、歴代マークIIの中で最も多い販売台数を記録したのです。
●順調に滑り出した7代目だったが、バブル崩壊で人気に陰りが
7代目マークIIは、先代まで引き継がれたエッジの効いた直線基調のスタイルから、全グレードが3ナンバーボディとなり、角が取れた丸みを帯びたウェッジシェイプに変貌。フード一体のフロントグリルやハイデッキのリアエンドで、スポーティかつ上品なミディアムセダンに仕立てられました。
エンジンは、1.8L直4と2.0L&3.0L直6、2.5L直6ターボに加えて、2.4L直4ディーゼルターボと豊富なバリエーションを用意。トランスミッションは、4速ATおよび5速MT、駆動方式はFRをベースに4WDも追加されました。車両価格は、2.0Lで214.1万~223.9万円、2.5Lで185万~324.3万円。ちなみに当時の大卒の初任給は、18万円(現在は約23万円)程度でした。
7代目マークIIは、発売当初こそバブルの勢いで売れましたが、その後バブル崩壊とともに販売は下降線を描きます。1996年にセダン復権の役目を担って登場した8代目は低迷。2000年に登場した9代目は、もはや車自体の出来栄えとは関係なく、市場でのセダンの販売が完全に落ち込んでくるなか、マークIIブランドは幕を下ろしました。
7代目マークIIは、バブル景気の恩恵とバブル崩壊の煽りの両方を経験したモデルでした。市場の景気に左右される車ですが、バブル景気は車の技術進化に大きく貢献したことは確かです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)