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■ギャランΣに続いてスポーティなギャランΛ登場
1976(昭和51)年10月26日、三菱自動車は「ギャランΛ(ラムダ)」を発表、発売は11月から始まりました。
半年前に発売したセダン「ギャランΣ(シグマ)」をベースにした2ドアハードトップで、それまでのお堅い三菱車のイメージを一新する斬新なスタイリングが注目されました。
●三菱重工のイメージからの脱皮を目指した三菱自動車
三菱自動車は、1970年に三菱重工から分離独立して誕生しました。それまでは三菱重工の自動車部門として、モータリゼーションの波に乗って軽自動車「ミニカ」や「コルト」シリーズなどの順調な販売を記録し、1968年には三菱重工の売上高に占める自動車部門の割合は、28%を占めるまでに成長していました。
一方で、国内メーカーの競争が激化する中、自動車メーカーとしての確固たる地位を確保し、さらに国際競争力を高めるために、自動車部門を独立させ切り離す必要があったのです。
重工時代の三菱車は、良くも悪くも質実剛健的で地味なイメージがありました。独立を機に、企業イメージを一新するために、スポーツモデルを積極的に投入することを行いました。
●新生三菱から上級セダンのギャランΣ登場
新生三菱自動車は、1970年に高性能スポーツ「ギャランGTO」を手始めに、1971年にコンパクトクーペ「ギャランクーペFTO」、1973年にラリーで大活躍した「ランサー」「ニューギャラン」、1975年ランサーのクーペモデル「セレステ」と、立て続けに新型車を投入しました。
そして、1976年基幹モデルとなっていたギャランの3代目として、Σ(シグマ)のサブネームをつけたギャランΣがデビュー。ギャランΣは、それまでのギャランの特徴であった走りの良さやタフネスさでなく、ソフトさや豪華さを強調したヨーロピアン風の上級セダンでした。
エンジンは、1.6L/1.8L/2.0L直4 SOHCの3機種を設定。2.0Lエンジンには、4気筒特有の2次振動を抑えるサイレントシャフトが装着され、6気筒並みの静粛性を確保。洗練されたスタイリングと豪華なインテリアでまとめられたギャランΣは、ヒットモデルとなりました。
●ギャランΣに続いて斬新なスポーツモデルのギャランΛ登場
落ち着いた雰囲気のセダンΣに対して、ギャランΛ(ラムダ)はセンターピラーレスの斬新な2ドアクーペでした。
スラントノーズの流麗なサイドラインを組み合わせ、斜めに切り落とされた尖角ノーズに角型デュアルヘッドライト、ロールバールーフ、リアウインドウを側面まで広げたラップアラウンドリアウインドウなど、斬新なデザインをそこここに採用。インテリアについても、国産車初の1本スポーク式ステアリングや、ヘッドレスト内蔵リクライニング式フロントシート、後席シートにもバケットタイプを装備するなど注目を集めました。
パワートレインは、サイレントシャフト付2.0L直4 SOHCエンジンと3速ATおよび5速MTの組み合わせ、駆動方式はFR。最も人気あった2000GSRの車両価格は151万円、ちなみに当時の大卒の初任給は9万円(現在は約23万円)程度でした。
ギャランΛは、その斬新なスタイリングが若者に支持されて順調に滑り出しましたが、1980年代に入ると各メーカーから続々と高性能スポーツが登場し、ギャランΛの存在は徐々に薄れてしまいました。
1980年代は、排ガス規制を乗り越えてバブル景気の到来とともに、多くの高機能・高性能の車が登場した華やかな10年間でした。ホンダの2代目「プレリュード」などに代表されるスペシャリティカーや「マークII 3兄弟」に代表されるハイソカーなどの賑わいがありました。市場動向に先鞭をつけたとも言える70年代後半のギャランΛの登場は、早すぎたのかしれません。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)