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■世界初となる先進技術を数多く搭載したワールドカー
1981(昭和56)年9月22日、初代から5年ぶりのモデルチェンジによって2代目「アコード」がデビューしました。
初代アコードは、シビックのワンランク上のモデルとして1976年にデビュー。2代目は、ボディの拡大と先進技術の採用によって、さらなる上級化を実現しました。
●シビックの兄貴分として、1ランク上の室内空間と走りを実現したアコード
ホンダは、軽自動車「N360」の大ヒットの後、小型車シビックでも大成功を収めました。続いて、シビックより1ランク上のアッパーミドルのファミリカー市場に名乗りを上げたのが、1976年にデビューしたアコードです。
シビックの兄貴分として、基本的にはシビックベースの多くの部品を流用。丸目4灯のヘッドライトに大きなテールゲートをもつ3ドアハッチバックボディに、1.6L直4 OHCエンジンを搭載。トランスミッションは、4速&5速MTおよびホンダマチックの3種が用意されました。
翌1977年には、4ドアサルーンも追加され、シビックよりひと回り大きい室内空間とシビックゆずりの走りが人気を呼び、シビック同様、アコードも大ヒットを記録しました。
●初代より大きく、上級化した2代目
2代目アコードは、初代のコンセプトを継承しつつ、初代よりもホイールベースを70mm、トレッドは20mm拡大して、ひと回り大型化しました。
先代同様、3ドアハッチバックと4ドアセダンが用意され、直線基調を引き継ぎながらも、よりシャープなスタイリングに変貌。パワートレインは、1.6L&1.8L直4 SOHCエンジンと、5速MTおよび3速ATの組み合わせ、駆動方式はFFのみでした。
サスペンションは、4輪ストラットを踏襲しながら、ハッチバックには世界初の電子制御オートレベリングサスペンション、セダンには世界初の三次元リアダンパーを採用。さらに、クルーズコントロールや世界初の車速応動型バリアブルパワーステアリングなど、世界初となる最新技術が積極的に採用されました。
車両価格は、103.8万~128.5万円(1.6L仕様)/135.0万~150.8万円(1.8L仕様)。ちなみに当時の大卒の初任給は、12万円(現在は約23万円)程度です。
ボディの拡大、パワーアップした性能、最新技術の採用によって、高級感が増した2代目も順調に販売を伸ばしました。
●日本メーカーの米国生産は、2代目アコードから始まった
ホンダの米国進出は、1959年の米国法人“アメリカ・ホンダ・モーター”設立から始まりました。ここで、「ホンダ50(スーパーカブ)」などの2輪の販売を始め、ホンダ50の人気は徐々に上昇。1968年までにホンダのバイクは約100万台を売り上げ、アッという間に米国一のバイク販売を誇るようになったのです。
4輪は、1970年にハワイから販売を行い、1978年には米国オハイオ州に「ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチャリング(HAM)」を設立。1979年に2輪、1982年には2代目「アコード」ベースの第一号車の現地生産を開始しました。
日本の自動車メーカーとして、初めて米国での乗用車生産を開始し、米国で2輪と4輪両方でホンダブランドを築き上げたのです。
2代目アコードは、ホンダの米国進出成功の礎となった重要な役割を果たしました。現在は10代目に至り、ファミリーカーから上級セダンへと完全なるシフトを遂げています。セダン冬の時代と言われる昨今ですが、ホンダ伝統の重みを感じる車ですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)