■世界一周ツーリングに挑むヤマハ発動機のOBの情熱
ヤマハ発動機の広報グループは、ニュースレターという形で同グループの多彩な活動を発信しています。今回は、オートバイで世界一周ツーリングに挑んだ、あるOBの偉業についてレポートされています。
OBの名は吉田 滋さん、81歳。現役時代は、オートバイの開発や、企業ミュージアム・コミュニケーションプラザの初代館長として活躍されてきました。
吉田さんが最初の世界一周(東回り)に出発したのは大学卒業後の1965年で、ヤマハ発動機の「YDS-3」(25cc)を相棒に、2年半をかけて60ヵ国、13万6000kmを走破。帰国後に、同社創業者の川上源一に報告をしたことが入社のきっかけというから、驚きです。
しかし、吉田さんは、この世界一周ツーリングに心残りがあったとのこと。当時のソ連に入国できず、ユーラシア大陸に大きな空白ができてしまったことです。
空白を埋めるべく2度目のツーリングに出発したのは、定年退職を迎えた2002年でした。西回りの旅では、ヤマハ発動機の「ロイヤルスター」(1300cc)にまたがり、ロシアを含む13ヵ国、2万9000kmを走破しています。
2度にわたる世界を股にかけてのツーリングで、吉田さんの旅は完結したのではなく、まだ走破すべき地域が残されていました。
「最初の旅では、アンデスを越えてチリからアルゼンチンに入国する計画が、真冬の大雪に遮られてどのルートも走行不能で、仕方なくバイクと一緒に汽車でアンデスを越えた経緯があります」と吉田さん。
リベンジを果たすため南米行きを決意し、チリで同社の「FZ25」(250cc)を入手し、アンデス山脈越えを見事に達成しました。
「57年前にアコンカグア(南米最最高峰/標高6,962m)を見たのは汽車の窓からでした。今回はバイクにまたがってその雄姿を望むことができ、感慨深いものがありました」と振り返っています。
この旅でうれしい再会もありました。57年前、いくつかのルートでアンデス越えにトライしているうちに風邪で高熱を出してしまい、野宿を諦めてプコンという町で民宿に転がり込んだそう。
「家族経営の民宿には、幼い2人の娘さんがいました。日本人が珍しかったようで、体調が戻ってからは、ずいぶんおしゃべりを楽しみました」。
その時の感謝を伝えようと、プコンでその家族を探したところ、地元の人の協力もあり末娘さんと再会を果たします。
娘さんは、「当時私は10歳で、死にそうな顔で家に入ってきた日本人を、昨日のことのように覚えています」と、覚えていてくれたことに吉田さんは、感激したのは当然かもしれません。
ついに世界一周の旅も完結と思いきや、吉田さんは「まだインドに…」と、次なるツーリングに思いを巡らせているそうです。
(塚田 勝弘)