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■大ヒットの2代目に続いた3代目は人気が減速
1993(平成5)年7月22日、ホンダが3代目インテグラの4ドアハードトップを発表、翌日から発売が始まりました。
“かっこインテグラ”のCMフレーズで大ヒットした先代に続いた3代目は、個性的なマスクでした。この表情は米国では人気が得られましたが、日本では不評だったため、2年後にあっさりフロントマスクが変更されることになりました。
●スペシャリティカーに変貌した初代クイントインテグラが誕生
初代インテグラの「クイントインテグラ」は、1985年にデビュー。そのベースとなった「クイント」は、1980年に誕生したファミリーカーでしたが、そのクイントがモデルチェンジした2代目がクイントインテグラ(初代インテグラ)を名乗ったのです。
クイントインテグラは、初代のファミリーカーから一転、低ボンネットのショートノーズにリトラクタブルライトを装備した3ドアハッチバックのスペシャリティカーに変貌。
エンジンは、1.6L直4 DOHCで、上級グレードにはPGM-FIの電子制御噴射システムを採用し、当時クラス最強の出力を誇りました。
スポーティで流麗なフォルムと爽快な走りは、日本のみならず世界の市場でも高く評価され、国内外で人気を獲得します。
●VTECエンジンを搭載して大ヒットした2代目インテグラ
1989年、クイントインテグラがモデルチェンジして、クイントの冠をとった2代目「インテグラ」がデビューしました。
2代目は、リトラクタブルヘッドライトを廃止、代わりに個性的な横長ワイドのヘッドライトを採用。スポーティなワイド&ローのウェッジシェイプのフォルムに、3ドアクーペと4ドアハードトップが設定されました。
エンジンは、1.6L直4 SOHCのデュアルキャブ仕様と電子制御噴射PGM-FI仕様、そして最上級グレードには新開発の1.6直4 DOHC VTECを搭載。160PSを発揮したVTECエンジンは、NA(無過給)で初めてリッター100PSを超えたエンジンであり、“エンジンのホンダ”を世界に再認識させた名機となったのです。
インテグラは、TVコマーシャルに当時、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で人気となったマイケル・J・フォックスを起用し、CM中の“かっこインテグラ”のフレーズとともに、爆発的な人気を記録しました。
●個性的なフロントマスクが話題になるも、すぐに元に戻した3代目
1993年のこの日、さらなるスポーティさをアピールするために、フロントマスクを大胆に変更した3代目インテグラの4ドアハードトップが登場しました。
3代目インテグラは3ドアクーペが2ヶ月前の5月に発表となっていましたが、そこには遠くから見ても違いがわかる個性的な独立丸型4灯式ヘッドライトに、他にもホイールアーチと面一化したマスキュラーフェンダーやスプリット式リアコンビランプが採用されていました。
これに加えて、初めて4WDタイプも設定された4ドアでありながら、スポーティなスタイルであるハードトップが追加登場したのです。
パワートレインは、新開発の1.8L直4 DOHC VTECエンジンを筆頭に、1.8L直4 DOHCと1.6L SOHCエンジンの3つのエンジンに、5速MTおよび4速ATの組み合わせ。駆動方式は、FFと新開発のデュアルポンプ式4WDが用意されました。走りを極めた1.8L VTECエンジン搭載「Si VTEC」は、206.3万円(MT)/215.8万円(AT)で販売されました。
3代目インテグラは、高性能な走りは評価されましたが、市場では個性的すぎるマスクに賛否が分かれました。新鮮でユニークとの評価がある一方で、深海魚みたいでスポーティに見えない…とのネガティブな意見もあり、多くの賛同を得ることはできませんでした。
結局2年後の1995年8月のマイナーチェンジで、先代のような横長ヘッドライトのマスクに変更されたのです。
その後TYPE Rが、3ドアクーペが222万8000円、ハードトップが226万8000円の価格で追加発売(価格は東京地区)。こちらはその速さと軽快な走りから、シビックよりもひとクラス上の軽量スポーツモデルとして絶大な人気となりました。
個性的なマスクで話題となった3代目ですが、日本では不評で、そのマスクは結局2年という短命に終わってしまいました。一方で、米国やオーストラリアでは丸目4灯が支持されてヒットしたといいますから、お国柄はそれぞれですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)