「スタンゲリーニ」を知ってますか? フェラーリの友人にしてライバル、モデナの重鎮ブランド【越湖信一の「エンスーの流儀」vol.26】

■モデナの超老舗レース・コンストラクター、スタンゲリーニ

イタリアが「第二の故郷」と語る越湖信一さんが語る今回のエピソードは、フェラーリやマセラティを産んだモデナが主役。実はモデナには、19世紀(!)に起源をもつ超老舗のレーシングチームがあったことをご存知でしょうか? たくさんのレースカーを作り、たくさんの戦いで輝かしい仕事を披露してきたかつての名門について、越湖さんが教えてくれました。


●マセラティやフェラーリ「以前」からモデナで活躍

スタンゲリーニのかつての本拠地。1Fはフィアット・ディーラーで2Fがレーシング部門であるスクアドラ・スタンゲリーニ
スタンゲリーニのかつての本拠地。1Fはフィアット・ディーラーで2Fがレーシング部門であるスクアドラ・スタンゲリーニ

カロッツェリアの街トリノからモデナへと再び戻ってきました。やはり数え切れない程訪れているここは落ち着きます。モデナは、何といってもマセラティとフェラーリの聖地です。メインストリート・Ciro Menottiを挟んで、モータースポーツにおける良きライバルでした。

しかし、モデナはそれだけではありません。長い歴史を持ったもうひとつのブランドが、今回のお題です。

オルシ家がモデナにファクトリーを設け、ボローニャから移転してきたのは1937年のこと。フェラーリが、その前身であるアウト・アヴィオ・コストゥルツィオーニ(Auto Avio Costruzioni)をモデナに設立したのは1939年のことです。

しかし、モデナは奥が深い。そんな時代よりもはるか前より、モデナにはレーシングチームが存在したのです。1930年代からマセラティやフィアット、そしてアルファロメオなどのメインテナンスを行い、レース界では名をはせていました。

ファミリー・ビジネスの原点となった可変ピッチ機構付のティンパニー
ファミリー・ビジネスの原点となった可変ピッチ機構付のティンパニー

そう、それはスクアドラ・スタンゲリーニです。スタンゲリーニといえば、フィアットのエンジンをベースとして製作された小排気量レースカー・メーカーとして有名ですが、ここモデナにおける重要なアイコンでもあり、19世紀に起源をもつエンジニアリング会社という長い歴史を持っているのです。

同じモデナ生まれということもあり、当主のヴィットリオ・スタンゲリーニとエンツォ・フェラーリはたいへん仲が良く、お互いに触発し合っていたということです。

1980年代後半、モデナを訪問し始めた私にとって、当時の当主であったフランチェスコ・スタンゲリーニ(ヴィットリオの子息、2020年没)はとても身近な存在です。当地で行われる自動車関連イベントには必ず彼がいましたし、彼の発案で整備されたミュージアムでは、モデナのスポーツカーに関するいくつものカンファレンスが開かれました。

この素敵なロゴもモデナのアーティストの手によるという
この素敵なロゴもモデナのアーティストの手によるという

ちなみに私はスピード感あるスタンゲリーニのカンパニー・ロゴが昔から大好きでした。あるときフランチェスコに「このトレードマークはアートです。スタンゲリーニが並みの会社でないことの証ですよ」なんて、酔っ払って話したのですが、彼はこのことが気に入ったのか、会う度に「おお、こんなものもあるよ」という感じで、ステッカーやキーホルダーなどいろいろなアイテムをくれたものです。ですから、長きにわたって私のポケットの中にはスタンゲリーニ製キーホルダーがありました。


●高性能・高品質なマシンは世界各国で大人気に

手前がミッドマウントの1961 フォーミュラ ジュニア“Delfino”
手前がミッドマウントの1961 フォーミュラ ジュニア“Delfino”

前述のように、1950年代のスタンゲリーニはフィアットの1100ccのエンジンをベースとしたオリジナルエンジンや、完全に新開発した750ccエンジンを搭載した、たくさんのレースマシンを開発・製造、そして販売しました。彼らのマシンは、第二次世界大戦後に山のように生まれた小排気量スポーツカー・メーカーと、そのクオリティにおいて一線を画していました。

シャシーは基本的に自社製作、ボディ製造はフェラーリやマセラティなどのサプライヤーでもあった、当時最高峰のモデナのファクトリーが担当しましたし、当主ヴィットリオはエンジニアとしても、とても優秀でした。

多くのパーツを自ら開発し、スタンゲリーニ流にこだわったため、そのパフォーマンスや信頼性は申し分なく、イタリア国内だけでなく世界各国で彼らのマシンは大人気となりました。

エンジンチューンの魔術師と呼ばれたヴィットリオの手による珠玉のエンジン達
エンジンチューンの魔術師と呼ばれたヴィットリオの手による珠玉のエンジン達

ファン・マヌエル・ファンジオとの関係も深く、ドライバーとして活躍しただけでなく、マシンの開発においても多大な貢献があったそうです。また、彼らはフィアットとの関係も深く、スタンゲリーニ製のオリジナルのパーツは、フィアットの正規パーツとして世界のフィアット・ディーラーにおいても販売されました。

「ミッレミリア」「タルガ・フローリオ」「フォーミュラ・ジュニア」などで高成績を収めた彼らは、1955~59年には6年連続でル・マン24時間レースにも参戦します。

しかし、時代は変わりつつありました。モデナのマセラティもワークスチームを解散していましたし、小規模なレース・コンストラクターがアイデアで勝負する時代ではなくなっていたのです。1960年代に入り、彼らはレースビジネスから撤退。当地を代表するフィアット・ディーラーとして、スタンゲリーニの名を残していったのです。

●モデナ訪問の際はミュージアムが必見

750 Sport Bialberoとムゼオの館長であるフランチェスカ・スタンゲリーニ
750 Sport Bialberoとムゼオの館長であるフランチェスカ・スタンゲリーニ

数年前に大きくリニューアルが行われたミュージアムは、メインストリートのヴィア・エミリアに面しており、モデナ市街からのアクセスも良好です。現在のミュージアムがある建物はファミリー所有のもので、フィアット・ディーラーのショールームとして用いられた部分の一部です。かつての広大なショールームには、マセラティやフィアット、アルファロメオなどのユーズドカーも多数並び、販売や整備で彼らは大忙しだったのです。

今回は久しぶりにここを訪れたのですが、私はとても懐かしい気持ちになりました。昔はフランチェスコがぼそぼそと説明してくれましたが(笑)、今は娘さんのフランチェスカが館長となり、自動車文化に精通したスタッフ共々、しっかりと歴代の名車を説明してくれます。そう、日本語の解説もOKですからね。

スタンゲリーニ家のコレクション達も並ぶ
スタンゲリーニ家のコレクション達も並ぶ

年代順にディスプレイされたレースマシンや、スタンゲリーニ家所有のクラシックモデルが並ぶ中、私としては1台のサルーンに目が行ってしまいます。それは硬派なコンペティション・マシンとは異質な小ぶりのサルーン、スタンゲリーニ・ベルリネッタ・ベルトーネです。

気になるスポーツサルーン。美しいベルトーネ製ボディを着ています
気になるスポーツサルーン。美しいベルトーネ製ボディを着ています

フィアット1100をベースにスタンゲリーニが製作したシャーシに、ベルトーネ製のエレガントなスタイルのボディが懸架されています。これもヴィットリオとベルトーネの当主、ヌッチオとのレース活動を通じた友情から実現したコラボレーションということです。

モデナのヘリテージを語る上で、このムゼオ・スタンゲリーニ訪問はマストといって良いでしょう。

(文:越湖信一/写真:越湖信一、ムゼオ・スタンゲリーニ)

【ムゼオ・スタンゲリーニ Museo Stanguellini】

住所:Via Emilia Est, 756 41125 Modena (Italy)
月~金 8:30-12:30 14:30-18:30
※要事前予約(日本語ガイド希望の際は、ウェブサイトのコンタクト欄よりリクエストのこと)

【関連リンク】

ムゼオ・スタンゲリーニ公式サイト(伊、英)
https://www.stanguellini.it/en/stanguellini-museum-in-modena/

この記事の著者

越湖 信一 近影

越湖 信一

イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表。ビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。
クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。著書に『フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング』などがある。
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