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■国民車構想に対するトヨタの回答がパブリカ
1961(昭和36)年6月30日、トヨタから小型大衆車の切り札として「パブリカ」がデビューしました。
1955年、一般庶民でも入手できるクルマの開発生産を推進するために、通産省が提案した「国民車構想」の設計思想に基づいて開発され、日本の大衆車の先陣を切って登場したクルマです。
●日本のモータリゼーションの火付け役となった国民車構想
日本でやっと乗用車が増え始めた1955年、通産省は国産乗用車の開発を促進するため「国民車構想」を発表しました。一般庶民でも所有できる自動車の開発・生産を推進するのが狙いです。
国民車構想とは、4名乗車で排気量が350cc~500cc 、車速60km/h走行時の燃費が30km/L以上で最高速は100km/h以上、販売価格が30万円以下などといった目標をクリアしたメーカーに、製造設備・販売資金の一部を支援するという内容です。実際には目標が高すぎて自工会が達成不可能と表明して実現できず、構想そのものは不発に終わりました。
しかし、乗用車の国産化技術の発展とモータリゼーションの火付け役としての役割は非常に大きく、メーカーはこぞって安価な小型車の開発を本格化させました。トヨタが、この国民車構想に対応するために開発したのが、パブリカだったのです。
●コロナのワンランク下の小型大衆車として先陣を切るも販売は伸びず
1957年にデビューした中型乗用車「コロナ」のワンランク下の大衆車として、パブリカが誕生。パブリカのネーミングは、一般公募で決定され、大衆を意味するパブリックとカーを合わせた造語です。
ボディタイプは、当初は3ボックスの2ドアセダンのみで、コンパクトながら十分なキャビンと荷室スペースを確保。パワートレインは、700cc直2水平対向の空冷SOHVエンジンと4速MTの組み合わせのみ、駆動方式はFRでした。
エンジンの出力は平凡でしたが、当時としては珍しいフルモノコックボディによって、車両重量は580kgと超軽量であったため、国民車構想の条件をクリアする31km/L(60km/h定地走行)の燃費と最高速110km/hを達成しました。
当時としては、優れた性能と実用性を兼ね備えたパブリカでしたが、期待したほど販売は伸びませんでした。
コストダウンを意識するあまり、単一グレードのみで、ラジオやヒーター、燃料計などがない質素な装備ながら、価格が軽自動車より高いことで、中途半端な位置づけとなってしまったのです。
●スターレットとして生まれ変わったパブリカ
パブリカの反省を踏まえて登場したのが、1966年に登場した「カローラ」であり、ユーザーの上級志向に見事応えて大ヒットします。
カローラが大ヒットすることで、パブリカの大衆車としての地位は急速に失われ、販売はさらに落ち込むことに。1969年に登場した2代目パブリカに、1973年スポーティなクーペスタイルの「パブリカスターレット」を追加、パブリカスターレットは本家のパブリカの人気を凌ぐことになりました。
これを受け、1977年にパブリカは生産中止、1978年にパブリカスターレットは「スターレット」という単独ネームになり、ここにスターレットが誕生したのです。
大衆車の先陣を切って登場したパブリカは、人気モデルとはなりませんでしたが、その後大衆車を代表するカローラとスターレット誕生の礎となった貴重なモデルだったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)