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■ギャランFTOの後継を担ったスタイリッシュな2ドアハッチバック
1975(昭和50)年2月26日、三菱自動車から小型スペシャリティカー「ランサー・セレステ」がデビューしました。
セレステは、1973年に登場した初代「ランサー」の派生モデルで、ベースのランサーとは全く異なるスポーティなスタイリングが注目されました。
●ベースのランサーは、大衆車ながらラリーで大活躍
三菱は、当時大衆車市場を席巻していたトヨタ「カローラ」や日産自動車「サニー」に対抗するため、1973年に小型大衆車ランサーを投入しました。
ロングノーズにショートデッキの落ち着いた雰囲気で、パワートレインは、1.2L/1.4L/1.6L直4 SOHCエンジンと、4速および5速MTの組み合わせ、駆動方式はFRでした。
大衆車でありながら8ヶ月遅れで投入されたのが、ラリー参戦を前提に開発された高性能なスポーツグレードの「ランサーGSR」です。WRCに参戦したランサーGSRは、すぐにその実力を発揮し、1976年にかけてサザンクロスラリー4連覇、サファリラリー3連覇の偉業を成し遂げたのです。
これにより、ランサーの名前は世界に轟き、“ラリーの三菱”という称号を獲得。このランサー1600GSRの血統が、後にランエボ(ランサーエボリューション)に引き継がれました。
●スタイリッシュながら走りが評価されず1代限りで終焉
ランサーの2年後、1975年に派生車としてデビューしたのが、小型スペシャルティカーのランサー・セレステです。セレステは、1971年に登場した「ギャランクーペFTO」の実質的な後継モデルです。
スタイリングは、丸目2灯に大きなリアゲートを持つ2ドアファストバックスタイルのスポーティなフォルム。
一方で、リアゲートを開けると広い荷室があり、リアシートを前に倒すと室内後部にカーペット張りの広いスペースが生まれるなど、実用的な面も考慮されていました。
パワートレインは、1.4L&1.6L直4 SOHCのキャブ仕様とツインキャブ仕様のエンジンと、4速および5速MTの組み合わせ、駆動方式はFRです。
スタイリッシュなデザインと鮮やかなボディ色が若者の注目を集めましたが、FTOのような軽快な走りはできず、1代限り6年で生産を終えました。
●1970年代排ガス規制強化に苦しんだ日本車
1970年代に米国のマスキー法に倣った日本の排ガス規制強化は、順調に成長していたクルマの開発や販売を失速させました。当時、セレステも含め、この時期に登場したモデルの多くは、厳しい排ガス規制対応に追われ、コストが上昇して、出力と燃費が低下する傾向にありました。
三菱は、“MCA-JET”と名付けた新しい燃焼方式によって、当時、世界で最も厳しい排ガス規制「昭和53年排ガス規制」をクリア。MCA-JETとは、ジェットバルブと呼ばれる小さな第2の吸気弁から吸入される空気、または薄い混合気で、シリンダー内に強力なスワールを発生させて燃焼を活性化し、排ガスを低減する燃焼方式です。
他のメーカーも独自の排ガス低減手法で排ガス規制を乗り切り、その反動で1980年代になると、高性能・高機能の時代を迎えたのです。
セレステの不運は、まだ排ガス規制が緩かった時代にデビューし、シャープな走りが評判だった前身のFTOと比べられたことでした。
スタイリッシュなスタイルで注目されたセレステ、しかし厳しい排ガス規制時、メーカーがクルマの性能追求に一時的に踏みとどまっていた趨勢のなかにいたセレステにとっては、FTOほどの走りができなかったのが致命的だったのかもしれません。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)