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■フォードが経営悪化により傘下のボルボを売却
2009(平成21)年12月23日、米フォードが傘下のボルボを吉利汽車(ジーリー)に売却することを発表。
フォードは、2000年以降、原油価格の高騰や環境対応技術の遅れなどによって経営が悪化、2009年のリーマンショックで危機状態に陥り、経営のスリム化のためにボルボを売却したのです。
●安全を追求したボルボの誕生とフォードによる買収
スウェーデンのボルボは、1924年に優れた経営者アッサールと優れた設計者のゲスタフらによって設立され、1927年に4気筒エンジン搭載の「ボルボOV4」を初めて量産化しました。
”常に安全でなければならない”という基本理念のもと、安全装備の開発に早くから取り組み、世界一安全なクルマを作ることが、現在も続くボルボの基本理念です。
1959年にボルボを象徴する3点式シートベルトを最初に装備した「PV544」が登場。ボルボは、3点式シートベルトの特許を取得していましたが、誰もが採用できるように無償で公開。その後、1991年には最先端の安全システムが採用されたボルボの源流となる「850」がデビューし、ボルボブランドが確立されます。
しかし、1990年代後半に起こった世界的な自動車業界再編の大きな波に巻き込まれて、ボルボの乗用車部門(ボルボ・カーズ)は1998年にフォードの傘下に収まりました。
●ベルトコンベアによるライン生産で自動車の革命を起こしたフォード
一方のフォードは、1903年ヘンリー・フォードによって設立され、1908年に「T型フォード(モデルT)」の販売を開始。4気筒エンジンと2速MTを組み合わせたFRで、他社に比べて性能が優れて低価格であったため、人気を博します。
1913年には、ベルトコンベアを利用したライン生産を導入、大量生産によってクルマの価格を初期の半分程度にまで下げることに成功。1920年を迎える頃には、米国で保有される自動車の半分はT型フォードになります。
画期的なライン大量生産によって、米国では急速に自動車が普及し、モータリーゼーションが始まりました。さらに、フォードに続いてGMとクライスラーも設立され、3社は“米国ビッグスリー”と呼ばれ、世界の自動車界をリードしました。
●フォードの衰退と再建のためのボルボ売却
戦後のフォードは、「カスタム」「フェアレーン」「サンダーバード」「マスタング」など数々のヒットを飛ばし、GMと世界トップの座を長く競いました。また1979年には、経営危機に陥っていたマツダを、1998年にはボルボを傘下に収めました。
GMとともに世界の2強となったフォードでしたが、2000年に入ると原油価格の高騰や環境問題対応の遅れなどの影響で、主力ピックアップやSUVの燃費が悪いことから敬遠されるようになり、経営状況が悪化。そして、2009年のリーマンショックが追い打ちをかけ、経営破綻寸前まで追い込まれます。
再建をかけた経営のスリム化のひとつが、傘下のボルボを手放すことでした。売却先は、中国の中堅自動車メーカーの吉利汽車。2010年にボルボは吉利汽車の傘下に収まりました。
経営スリム化で売却したのはボルボだけでなく、ランドローバー&ジャガー(2008年)、マツダ(2008~2015年)も同時期に売却しました。別の見方をすると、これだけのメーカーを傘下にしていたフォードが凄いと言えますね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)