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■ヒップアップクーペのキャッチコピーで登場したスポーツクーペ
1970(昭和45)年10月22日、三菱自動車はスポーツクーペ「コルトギャランGTO」を発表、11月から発売を始めました。重厚感のあるダイナミックなスタイリングとパワーフルな走りで、三菱のスポーツモデルのイメージリーダーの役目を果たしました。
●GTOのベースとなったコルト・ギャランの誕生
大衆車「コルト」シリーズで自動車メーカーとしてステップアップした三菱は、1969年に「コルト・ギャラン」を発売。当時は、まだ三菱重工の自動車部門でしたので、重工のお堅いイメージを刷新するために登場したのが、コルト・ギャランでした。
コルト・ギャランは、当初は4ドアセダンのみでしたが、スポーティかつスタイリッシュなスタイリングと三菱初のOHCエンジンの搭載などで、イメージの一新を図ります。エンジンは、1.3L直4 SOHCエンジンと1.5L直4 SOHCの2機種ですが、高度にチューニングされたGSグレードでは、最高速度175km/h、0→400m加速は16.9秒と、当時クラストップの走りを誇りました。
スポーティでエレガントなスタイリングとシャープな走りで評価は高く、三菱の中核モデルへと成長しました。
●トップグレードのGTO・MRは最強の走り
ギャランのスポーツクーペとして登場したコルトギャランGTO。そのスタイリングは、典型的なロングノーズ・ショートデッキに、シャープなダイナウェッジライン、リアは日本初となるファストバックにキュッと上がったダックテールが特徴でした。
エンジンは、1.6L直4 SOHCのシングル・キャブ仕様とSU型ツインキャブ仕様、トップレンジの「GTO・MR」には三菱初の1.6L直4 DOHCにソレックスが装着されました。GTO・MRは、最高出力125PS/6800rpm、最大トルク14.5kgm/5000rpmを発揮し、最高速度は200km/hを越え、0→400mは16.3秒と、文句なく当時最強を誇りました。
スタイルも走りも時代の先を走っていたGTOでしたが、スペシャリティカーゆえに価格は112.5万円、同時期に登場したトヨタのセリカが20万円ほど低価格だったので、割高感のイメージは拭えませんでした。さらに、1973年に起こったオイルショックの影響もあり、1977年に生産を終了しました。
●バブル景気によって復活したGTOは日本より米国で評価
バブル景気の真っただ中の1990年、GTOの名前は「三菱GTO」として復活を果たします。正確には「スタリオン」の後継ですが、かつての名車コルトギャランGTOの名前を引き継いだのです。
復活したGTOは、“スーパー4WDスポーツカー”と銘打ち、高性能のV6ツインターボエンジンを搭載。スポーツカーとしては珍しい4WDに4WSを組み合わせ、さらに電子制御サスペンション、ベンチレーテッドディスク、アクティエアロ、アクティブエキゾーストと、まさにバブルが生んだ先進技術満載のハイテクマシンでした。最強のトルクを発生するGTOの動力性能は、最高速度260km/h、0→400mは13.3秒と、同クラスの「NSX」や「スカイラインGT-R(BNR32)」に引けを取りませんでした。
ただ米国の大型高性能スポーツカー市場では人気でしたが、国内での人気は伸び悩み、結局1代限りで生産は終了。横置きエンジンで車重が重いことなどから、スポーツカーらしくないというネガティブな評価が多かったためでした。
スマートなスポーツカーでなく、男らしいムスタング風のスタイリングと強力な走りが魅力のコルトギャランGTO。軽量を追求する最近のクルマにはない、肉厚の重量感に魅力を感じてしまいますね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)