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■スカG伝説が始まった2代目スカイライン
1963(昭和38)年9月2日、スカイラインの2代目「プリンス・スカイライン」がプリンス自動車からデビューしました。1957年に登場した初代は高級車でしたが、2代目は一転して親しみやすい大衆車に変貌。一方で、走りを追求した2000GTが初めて設定されました。
●1957年スカイラインが誕生、輝かしい歴史が始まった
初代スカイラインは、1957年に富士精密工業(後に日産自動車と合併するプリンス自動車の前身)から「プリンス・スカイライン」としてデビューしました。
初代スカイラインは、当時の先進技術すべてを盛り込んだ画期的なモデルでした。高い技術は、富士精密工業の前身が、もともと中島飛行機で、多くの優秀な航空機技術者がいたことに起因します。
スタイリングは、テールフィンを持つボリューム感のあるアメ車風スタイルを採用。パワートレインは、60PSを発揮する1.5L直4 OHVエンジンと3速MTの組み合わせ、最高速度は国産乗用車最速の125km/hを誇りました。足回りは、フロントにダブルウィッシュボーン、リアはド・ディオンアクスルという乗り心地に配慮した仕様でした。
●ファミリーカー志向ながら軽快な走りが自慢の2代目
1963年にモデルチェンジして、2代目「プリンス・スカイライン」がプリンス自動車からデビューしました。
スタイリングは、初代のアメ車風から一転、親しみやすいファミリーセダンに変貌。この頃から、徐々にクルマが大衆化し、マイカーブームに火が付いたという背景がありました。
軽量なモノコックボディを採用し、エンジンは1.5L直4 OHVを搭載。注目されたのは、日本車で最も早くメンテナンスフリー化に成功したことでした。当時は、1ヵ月に1回程度は整備するのが当たり前の時代、2代目スカイラインはエンジンや足回りなどの整備が数万km程度不要でした。一方で軽量なボディと高いエンジン性能のおかげで、最高速度は135km/hを上回り、力強い走りを発揮しました。
●ポルシェを抜いた、伝説の走りでスカGが誕生
1964年5月2日から2日間、第2回日本グランプリが鈴鹿サーキットで開催されました。前年、スカイラインで惨敗を喫したプリンスは、新たな高性能モデルの開発によって雪辱を果たすことを決断。開発責任者であった桜井眞一郎が、GT2クラスでも勝てるクルマとして考えたのが、スカイラインに「グロリア」の直6エンジンを載せることでした。もともと4気筒を搭載していたスカイラインの鼻先を20cm伸ばして無理やり押し込み、パワフルな6気筒「スカイラインGT」を作り上げたのです。
GT2クラスでの圧勝を目論んでいたスカイラインGTでしたが、予想外の強敵「ポルシェ904」がエントリー。最高出力が180PSのポルシェ904に対して、125PSのスカイラインGTでは到底かなうわけがありません。
ところが、生沢徹のスカイラインGTは必死に追いすがり、なんと7周目には一時的ながらポルシェ904を抜き去るという快挙をやってのけたのです。最終的には、ポルシェ904が圧勝しましたが、国産車が最高峰のポルシェを抜いたことに観客は酔いしれ、今も伝説として語り継がれています。
日本グランプリでの熱い戦いの後、翌1965年にGTをベースにした「スカイライン2000GT」が市販化され、「羊の皮を被った狼」という称号が与えられたのです。
スカイラインの中では、“ハコスカ(3代目)”と“ケンメリ(4代目)”が特に有名ですが、”羊の皮を被った狼“という名言を生んだのは、この2代目であり、スカG伝説はここから始まったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)