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■話題となった初代のスタイリングを一新させた2代目ピアッツァ
1991(平成3)年8月21日、いすゞのスペシャリティカー「ピアッツァ」が初めてのモデルチェンジで2代目に移行。評価の高かった初代のジウジアーロのデザインを一新、社内デザインを採用しましたが、1993年にいすゞが乗用車撤退という英断を行ったため、いすゞ最後の乗用車となってしまいました。
●ジウジアーロのデザインが話題となった初代ピアッツァ
名車117クーペの伝統を引き継ぎ、いすゞの新たなイメージリーダーとして1981年にピアッツァが誕生しました。シャシーやサスペンションなどベースとなったのは人気モデルの「ジェミニ」、デザインはイタリアの巨匠ジウジアーロと、大きな話題を呼びました。
ボディスタイルは、セミリトラクタブルヘッドライトを装備した2ドアハッチバッククーペで、インテリアも含めてさすがジウジアーロと思わせるバランスの取れた美しいデザインでした。
パワートレインは、2.0L直4 SOHC&DOHCエンジン(G200系)と、4速ATおよび6速MTの組み合わせ、駆動方式はFRでした。
先鋭的なデザインで話題となりましたが、価格はトヨタの「ソアラ」「セリカXX」や日産の「フェアレディZ」に相当するレベルでしたが、その割には走りのスポーティさが及ばなかったからか、約11年間で11万台余りの販売台数で終わりました。
初代ピアッツァは、結果として数は出ませんでしたが、それでも一部のユーザーには熱狂的に愛されたモデルでした。
●スタイル一新の2代目は僅か1年7ヵ月の短命モデル
初代から10年の時を経て、1991年に2代目ピアッツァが登場しました。セミリトラクタブルヘッドライトを装備した2ドアクーペは同じですが、スタイリングは社内デザインとなり、ワイルドなイメージに変貌しました。
パワートレインは、FFジェミニ用の1.8L直4 DOHCエンジン(4XF1)と5速MTおよび4速ATの組み合わせ、駆動方式はFRからFFに変更。また、4WS機構を持った4輪独立懸架、ABSを組み合わせた4輪ディスクブレーキなど、いすゞの先進技術が盛り込まれました。
しかし、2代目は一新されたデザインが不評で個性的なプレミアム感が乏しかったこともあり、初代のように話題になることもなく、販売は低迷しました。
そして、1994年にいすゞは乗用車の自社生産から撤退することを英断、それに伴い2代目ピアッツァは1993年12月に僅か1年7ヵ月で生産を終えます。2代目ピアッツァが、いすゞ最後のセダン系乗用車となったのでした。
●20年前にいすゞは乗用車事業から完全撤退
そもそも、いすゞは乗用車を生産していたのですか?と思われる人が最近ではいるかもしれません。今でこそ、トラック・バスなどの商用車を生産するメーカーですが、1960年~1980年にかけては、「ベレット」「117クーペ」「ジェミニ」、そしてピアッツァといった数々の名車と呼ばれた乗用車を世に送り出したメーカーだったのです。
個性的な乗用車づくりによって存在感を示していましたが、リソース不足から乗用車の商品力強化に取り組めず、また1990年代前半のバブル崩壊もあり、乗用車の自社生産から撤退することを決定したのです。2002年には、SUVとOEM販売の乗用車もすべて販売を終了し、乗用車事業から完全撤退しました。
当時のいすゞは、GMの傘下にあり、自由な戦略が立てられなかったGMの都合で、乗用車に十分な投資ができなかったことが乗用車撤退の要因ですが、2000年以降の業界再編の動きの中では、乗用車事業からの撤退は必然であったようにも思われます。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)